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束縛され自由を奪われ

生きるために働く

金の奴隷として教育されていたのだろうとは思うが、今の時代を生きる為には他に方法などない。ごく一部世捨て人になれば可能だろうが、世間からは大きく外れる。世間から外れすぎると違う意味での束縛を感じる様に思える。そして集団生活と言うのは時間にも束縛される。金と時間管理で追い込まれて生きている。そして優劣を付けて争っている。それが自分の為だと思い込んでいる。そうやって生きる以外に考えが浮かぶ人は殆ど居ない。流れに沿わないと仕事は殆どない。これが社会なのだ。今そんな社会枠から外れて 自由を得られる環境になったと言うのも年金制度の恩恵である。私の年金は少ないが、最低の生活は何とかできる程度ある。これが定期的に入るからこそ今の自由がある。嬉しくはあるが、生きること、食べることが一番大切であり、それだけでも、殆どの自由を奪われていたことを改めて気づき驚く。言い換えれば、今の自由は本当の自由ではなく、与えられたご褒美だと言える。苦しい時期が長かったが、その苦しみから解放されたことで幸せを感じているとも言えるのも事実だ。今日など、事務所に行くのは、テニスの為の自転車トレーニングの様なもの。恐らく、なにもいないだろう。それが許されて幸せお感じない奴は居ない、もしくは、少ない人々だろう。この自由を、と言ってもまだ借金返済があるので稼ぎは必要だが、極端に言うと、稼いだ金は小遣いと借金返済で良いのだから。この自由、限られた期間の自由をどの様に生きるかが今の課題なのです。このブログの題材も見つかった気がする。スポーツ、仕事、趣味、家族 これらが絡み合って生きているのだが、夫々のウエィトが環境で異なるだけなのだろうと思うが、そのウエィトで生き方は全く変わる。一番大切なのが家族なのだと思うが、またここでも問題は多い。

束縛から解放されても

自由になれるのに、束縛が恋しい。バカとしか言い様のない現実の一面。自由と言うのは何をして良いのか分からない。昨日も今日も殆ど仕事などしていない。自転車通勤でテニスの為のトレーニングをしたこと。そしてフジカに荷物を送ったこと。メールを2通ほど送ったこと。のべにしても2時間程度だろう。余った時間はビデオ鑑賞という気儘な時間を送った。良いのだが、何か物足りない。こんな感覚は学生時代以来始めて。長期休暇とはまったく違うものだ。自由に生きることとは?私は貧乏生活をこの20年送って来たから借金だらけでなんの貯金もないから年収200万円程度を稼ぎたい。しかし、稼げなくても何とか維持できる環境を造る。テニスに掛ける時間を優先して、毎日働くことだと考えてる。しかし、長時間働くだけの体力や精神力がないし、そこまでしたくないので、働くと言っても毎日3時間程度を考えている。月、火、金は終日フリーに働くこができる。土、日、水は2時以降。木は午前中というのがテニスを外した時間割りだ。そう考えると、月、火、金は半日以上フリーな空き時間になる。散歩したり、ポタリングしたり、写真を撮ったりすることも十分可能だし、近場であれば観光にも行ける。私は家に閉じ籠っているのが苦手だから、近場の観光地、箕面、京都、神戸、有馬、六甲山など毎週の様に行ける。手短なもので考えるとサイクリングだろう。ただ、良い道がないので、サイクリングはちょっと足踏みを踏む。河川敷のサイクリングロードは良いが、猪名川と武庫川程度。車に自転車を積んで行けばもう少し遠くへ行けるがそんな車がない。河川敷のサイクリングロードでいける先と言うと伊丹程度だ。自転車のバッテリー容量の大きいものが欲しくなる。今はカフェでブログを書いて何らかの満足感を得ているが、それだけでは、何時までも続かないと思う。自分で作る遊びを考えているのだ。

ステップアップしていける仕事が欲しい

一日が8時間あるとして、月、火、金だけで、24時間ある。仕事は毎日3時間もあれば終えられるから、この3日だけで15時間もフリーができる。この3日は午前中に仕事を終えさせて、昼からはどこかのカフェに行き ステップアップ出来る仕事を探したり、土台作りに当てれば楽しそうだ。

 

ステップアップできる仕事として

ブログが考えられる。今アクセスをもらっているのは、photopeaの説明ブログとショッピング(カウンターチェア、とスマーティ)だ。それでも合計して毎月1000円~2000円程度。これを10、000円を越すための対策や、今書いている 「束縛を解かれた生活」をテーマにしたブログも若干の可能性があると思える。

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何十年と金に束縛され・・・

2020年の会社決算がほぼできて

今までで最高の決算になるだろう。来年も続いてくれれば、と甘い期待をしてしまう。夢になってしまうのだろうが。もし・・と考えると、私の借金奴隷生活が解放に早まるだろう。そこで、ふと思ったのだが、今まで束縛された生活を送っていたのは、金の為だけだったのかと、思わず虚しくなる。そして、これからはどの様に生活しようか?と考えてしまう。息子が何とか、と言うより、私の生活環境から考えると、良く成長してくれ、社会人になれるのだから、こんなに嬉しいことはない。その為に束縛された苦しい生活をしていたと考えると、満足するのだが、そのことに気づいたのが今なのだから、なにか虚しいのだ。過去を振り返っても何も変わらないが、過去を参考にこれからの生き方を考えたい。家族との生活が何時終わっても良いのかもしれないとも思えている。友人と言っても居ない。精々テニスでの話し相手程度しか私には居ない。正直言うと、そんなものどうでも良いと思えることもチラホラ。結局独りでの生活ができない者は強いものに巻き込まれて生きている。他人は他人の考えでそれが良いのかもしれないが、私はそんな柵ない方が良い。そう考えている人間だ。そう、今日は会社の決算のことで気持ちの整理がしたくて、ブログを書いているのだった。横道に反れてしまった。独立して、自分の会社をもってから最高の決算は良かったが、所得税は、繰り損でカバーできるが、消費税は逃れられない。恐らく40万円は支払わなければいけないだろう。そんな金残っているのかが分からない。偶然でもこの利益を出せたのだから、今期も維持出来るように努力するべきだ。

金の束縛から解放されたら

仮にの話だが、妄想に終わってしまうだろうが、金の束縛から可いっ方され、金の奴隷生活から解放されたら、私はどんな生活を送るのが幸せなのだろうか? それを考えて、その時のために行動を起こす時期だと言うことを示してくれているのかもしれない。残りの人生何年あるのか分からないが、在るだけの人生って言うのは皆共通のことだ。嫁に束縛されることはないし、私の束縛は全て無くなり、私が本来求めていた生き方ができる環境が整って来ているとも考えられる。昨年の決算が良かったことから、こんな想定が生まれて考えているのですが、もしかすると、借金完済の時期がまだ先だから考えないのではなく、もうそれに向けて準備をした方が良い時期に入っていると言うことではないか?と思い始めた。これは、結構大きなタイトルになるのかもしれない。今までに経験のないことだし、時間も何時かは分からないにせよ限られている。ちょっとしたミステリーの様でワクワクする人も居るような題材ではないか?と思ってしまう。誰かと共同で助け合って生きれる人が羨ましく、その様な人になりたいと思っていたが、私はそれとは相当距離のある人間の様だ。さて、どの様に生きて行けば良いのか?金に束縛されてることが、今までの観念からだと思うのだが、時間にも束縛され、自分を雁字搦めにすることで、頑張っていると錯覚していたとも思える。でも実際には錯覚ではなく、それぐらいに自分を追い込まないと金を稼がなければいけない仕事など出来なかったとは思う。でも、これからは違うのだから、ターニングポイントを超えた様だから、考えを改めないといけない。

時間の束縛を緩めよう!

朝からテニスに行く機会が増えたので、最近は、夜の内に明日発注する書類などを完成させ、朝9時くらいに自宅でfaxしてから仕事場に向かっている。そんな程度の変化でも昼間の時間が自由時間に近くなっている。自由時間に仕事をするのも良いが、音楽を楽しむのも良い。ビデオを見るのも良いだろうし。映画を見に行っても良いだろう。自分独りで行動し、身がってな自由行動を楽しむのが良いと思えている。緊急の仕事が入ったとしても、携帯電話と携帯パソコン(wifi)があれば、最低限のことはwifiが届く範囲ならどこでもできる。これは、私が15年も前に理想としていた仕事環境だ。当時は金を稼いでという仕事の第一義が上手くできず、常にギリギリだったので理想など空の上にあるだけで現実味は無かった。しかし、その第一義が薄らいだだけで、理想の環境が天から降りて来た様に感じれば良いのだろう。

仕事場が隠れ家になるときが来た

まだ、仕事場は必要なのだが、その役割が隠れ家として重要になれば良いのだ。そうだ、ここを別荘だと思えれば良いのだろう。実際の環境を変える前に、自分の心の中を変えることが大切なのだ。仮に、本当の別荘があったとしたら、そこに馴染むことができれば、その環境が自分を変えてくれる可能性は十分にあると思える。しかし、今回は逆に自分の心の中を先に変化させることができれば、今は十分なステップアップができるのだろう。

所詮 始めの一歩が間違えている

私の求めているものが朧気に見つかり始めている様に感じている。しかし、私は「初めの一歩」を間違えてスタートしている人間だから、最後まで間違い続けているだろう。しかし、少数かもしれないが、知らず知らずに間違えている人も居ると思うから、共感者がゼロではないだろう。私は、本当の幸せは掴めないとも思っているから 謂わば「開き直り理論」だとも思っている。最初の一歩が大切なのだろう。しかし間違いに気づかず過ごして来た時間が長すぎ、今更、正すこともできないと思っている。

 

次は時間の束縛からの解放を

時間からの解放を考えると、昼間に事務所に籠っているのは勿体ない。最低限の仕事は自宅でこなしてしまうと、事務所は正しく「私の隠れ家」。隠れ家に行きホットした時間を楽しんでいるだけになる。そこでsなければいけない仕事をこなしますが、そうでなければ、自転車に乗ってポタリングやブログで頭の整理をして安らぐのも楽しい。考えれば、どんな立派な別荘があったとしても、時間の使い方は同じだ。どこの地方都市へ行っても同じだろう。今日から隠れ家生活を楽しむ。そうすると、テニスが中心の隠れ家生活になる。何故なんだろう?心にすっぽり穴が空いている。伴侶がいないせいだろう。わかっているが、それも仕方がないと割りきることにする。どこかで、万が一偶然があればそれはその時だ。昼間に町中をポタリングしていると、やはり独りの高齢者が多い。カフェに入っても高齢者が目につく。行くところが無いから来ているのだろう。それにしても、やっと自由が手に入ったのに、カフェで独り茶では物足りない。今まで何やカンヤ言って自分では何もできていなかった証しのようだ。それを金が無いからと言っているのは言い訳だろう。それなら、まだテニスで全国ツアーしている方が余程ましだ。他人のことを見て参考にするのは良いが、自分も何もできていないのに、他人を見下しているようにはなりたくない。強ち多いのがこのタイプだ、自由な時間を使って、隠れ家を使って、自分の時間は十分に造れる。自分の時間が十分にあるだけでは、カフェで独り本を読んでいる方々と同じだ。何か生産的な部分が欲しい。例えば、ブログでも良いのではあるが、これで毎月20万円でも稼げていれば良い。でも現実ブログでの収益は1000円~2000円。話にならないレベルだ。私が考えていることがレベルが高すぎるのだろうか?そうは思ってないのですが、自分の現実を見ると、理想が高すぎる気もしている。隠れ家から家に帰っても特に話し相手がいる訳でもない。そんな実質の独身生活者なのだから。私は何を求めているのだろう?この20年はプライドをズタズタに切り裂かれた生き方をしてきたから、なにか自慢できる生活をしたいのか?コンプレックスをバネにした力は一番強い部類だと感じている。だからテニスには力が入っているのかもしれない。自分でも感じているが、回りの同年代から見ると私のテニスに掛けている力は大きい方だ。

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幸せを運ぶ趣味

趣味を中心に生きる

趣味は大切にするべきだ。つくづく思う。今日も午前中はテニスだった。クラブ内のある個人とのイザコザで、先日まで反私が多かったような微妙な雰囲気であったのが一人、二人と中立的になりだした様子だ。ある程度予想していた。皆自分が被害者になりたくないからだ。日本人気質なのかもしれないが、安易に想像できることだ。ここで自分を正当化するんではなく、主張するのでもなく自分の考えを変えずに自分を推し進めるべきなのだ。そうすればおのずと私が正当化される。本質的に私の考えが正しいのだから。ただ、今私の主張の正当性を誇示すると、私の考えを押しつけていると勘違いされることが多く感じるので、それは避けるべきだ。トラブル相手の問題点は自分が正しいのだからそれに合わさない私が問題児なのだと主張していることなのだ。私からすれば、どちらも正しいが相容れる所がないから、一定の距離を置いて付き合おうと言う私の主張を受け入れるべきなのだ。それを同じ趣味だから答えは一つと思い込んでいる心の狭さが問題なのだから。こんな、今までにも何度も経験してきている様なトラブルにまた巻き込まれるとは人間はそれほど成長しないものなのだ。趣味を通してまた、頭の整理ができたことは幸せなことだ。

心の整理を済ませて、次の扉を開けよう

また、新たなテニス友ができそうだ。毎週木曜日14~16時 メンバー4人(予備を含めると5人)で回したい。シングル練習会だ。基礎連20分、20分シングルゲーム5試合。又は基礎連30分、20分シングルゲーム4試合で合計110分、予備10分。又は基礎連25分、15分ゲーム6試合(総当たり)合計25+90 115分が良いかも。

緩やかに発展したいシングル練習会

練習会での人と人の苦労はあるけれど、発展していることは幸せなことだ。趣味を続ける為には金が要る。だから私は働き続けなければならない。これもまた、幸せなことだ。少しであっても、生活費を稼ぐ苦労ほど重くないが、メリハリを付けられることは幸せに通じている。ボケ防止にもなるかもしれない。仕事場に向かうとき、いつもの様にマクドでコーヒーを頂いている。本の少しの安らぎではあるが良いものだ。夢かも知れないがこれでマンションの借金を返せれば最高だ。私としては申し分ない。テニスと伴に考えてる趣味は自転車と車。車に自転車を積んで、サイクリングロードを走る。写真も撮れる。撮った写真のアップなど車の中で出来ること。キャンプも良いかもしれない。仕事が2~3割り、趣味が7割りの生活ができれば理想だ。少し悲しく思うのは、そんなこと、理想などを考えて生活できるのが何年残っているのか?分からないけれど、それを思うと、限りある人生だから何時か終わる、寂しさを感じている。

仕事帰りの夕暮れ

3時間程仕事をしての帰り道、ドトールコーヒー。優雅なものです。10数年前子供に、自販機のジュースが欲しいと言われ、勝手上げたが100円すら惜しい気持ちだった。勿論私は飲んでない。その時の光景が忘れられない。ドトールコーヒーで飲んでいるだけで、幸せを感じている。もっと言えば、事務所は仕事場と言う体裁だが、私の「隠れ家」なのだ。これから隠れ家をキレイにしたい。仕事兼休憩所なのだから、カレーを作ったりするのも良いだろう。その為にまず、小さな冷蔵庫も買いたい。こんな子供の様な気持ちで生活している65才は珍しいのだろうか?冷蔵庫を買ったら、まず野菜たっぷり味噌汁を作りたい。野菜を蒸して、残り汁を使って味噌汁を作る。豪華な味噌汁で、野菜の旨味たっぷりが出来そうだ。

嫁の遺産相続も影響が大きい

私は年金を満額もらい始めた。昨年はまだ息子の学費が必要だったので、ゆとりは無かったが、今年からはゆとりが出てきている。直接的な影響はまだ少ないものの、私の仕事での稼ぎが全て自分のものになる勘定だ。と言ってもまだ借入金が1300万円あるから、まだまだ火の車ではあるものの、どこかしら気が緩んでいる。1300万円と言っても理屈だけで言えば、3年程度で返せる可能性がある。3年は難しくても5年以内んは返済完了したものだ。でもそのとき、5年後として私は71才になっている。なんと言う高齢者だ?恐ろしい現実だ。今は仕事の行き帰りにブログを書いて満足しているが、その時はどうだろう?何かが足りない気がしている。ドトールコーヒーにもこの時間帯は高齢者が多い。読書の人が多いがそれが楽しみの一つなのだろう。私は今、これからどうしようと思いを巡らせて楽しんでいるが、何時までも楽しめる課題ではない。テニスは私の趣味の柱になっているが、もしかしたら、第二の趣味の柱は借金返済かもしれない。ひとつの借金の塊、郵便局のを全額返済しようか?約80万円だと思うので、息子が大学を卒業したら返済しよう。この第二の趣味かもしれない借金返済は趣味ではないが付きまとってくるので仕方がなく楽しんでいるだけだ。でも、ここにかなりのの神経を使い、時間を費やしていることは事実だ。

自転車も載せれて、車内で横になれる車を可って、移動式喫茶店を自分専用に作る

て`こんな趣味はどうだろうか?何処へ行って、コーヒーを飲めば気持ち良いのか?遠出して車中泊してなどと考えると、ハードルが高いが、気持ち良くコーヒーを飲み、昼寝する程度なら近場でできハードルが低い。一日遊べる。例えば、猪名川の河川敷でもできる話だ。それが六甲山町でもできる場所もあるだろう。有馬富士公園や青野ダム公園でも可能だ。車中でブログを書いても良いし、仕事も可能できる。今の事務所はそのままにして、車事務所兼喫茶室兼昼寝場なんて言うのが可能だ。西宮浜や芦屋浜でコーヒーも素敵な気分を味わえそうだ。六甲山森林公園や三木の森林公園など公園が良いかもしれない。小さい人生だな。

テニスの時間が増え、仕事の段取りも変わってきた

サプリメントの出荷を自前でするようになり、従来お願いしていあ倉庫が廃業したので、封筒の準備など家を出る前に準備しているので、マクドに立ち寄る時間も少し遅くなった。今日は10時前になっている。ここで30分寛ぎ事務所に入ると11時頃になる。また、健康器具の注文が有ったときは自宅から注文書を流しているので事務所に着くのは11時を回っている。事務所に着くなりその日の作業をこなすと、もう昼になってる。3月からは毎週木曜日14時から2時間シングル練習が増える。となると、12時半には事務所を出発したい。そうなると、マクドに立ち寄る時間がなくなるのが残念だ。殆ど仕事をする時間はないのだが、自転車で脚のトレーニングをしていると思えば、事務所に行く意味がある。考えれば、考えるほど、私の生き方は小さな人生だ。でも、それが私の器だと思うと、妙に納得する。今日も大した仕事はない。でも、これからの事を考え無駄が多いのだが、試みをしていかないと全ての仕事をなくす。何故なら、今の仕事は近い将来終わる。何時までも続く仕事はないのだから。

 

 

川西キセラのガーデンテラス

川西の火打に昨年できたオアシスタウンの中にあるガーデンテラスに来ている。コーヒーが200円でいただけて、屋外で味わえる。今日は1月なのだが小春日よりなので気持ち良い。少し寒さを感じるが、屋外の解放感は心地よい。どこのカフェに入っても、ブログが友達の寂しい生き方なのかもしれないが、自分では満足している。自転車効果の大きな1つだ。身近に心地よい場所を見つけるのは楽しみの1つだ。でも自分の趣味が年寄りの趣味に為っているのが分かるだけに、仕方ないが嫌気がを感じるときもある。車中泊ができる車を買えても、この独り趣味はより深みに嵌まるのだろう。人の騒々しさが少しあり、且つ自然を感じられる場所が私は好きだ。今は夕日に照らされて、ショッピングタウンの外れの屋外でコーヒーで寛げる。季節の良いときは良い場所だ。自転車で気軽に来れて、私のような貧乏人でも200円なら負担は少ない。平日の昼間なら季節の良い時期でも混雑することはないだろう。ここで寛げる。事務所から20分程度だし。精々活用させて頂こうと思う。仕事にも使える。

テニスクラブでのイザコザ

どの様に為っていくにせよ、時間が解決してくれるところが大きい。結論を急ぐと、傷付け拗れることが多い。一定以上の距離を取って様子を見ることだ。私が私らしく生きるためには、金を稼ぎながら、テニスの腕を上げることだ。できれば、海外にも遊びに行きたいので英語の勉強もした方が良いのだろう。イザコザなど細かな問題だ。自然を感じていると、小さな自分の感情も自然に導かれ大きくなるようだ。

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幸せな人生

テニスをしながら

テニスを通じて人と関わり、トラブルに巻き込まれ、悩んで、気分は悪いものの独り孤独な仕事で稼ぎを作っていたときを思い出すと、幸せを感じる。人間ってどこまでバカなのかと思ってしまう。苦労とは思ってないけれど、苦しさを味わってこそ、日常の幸せを感じられる。これが事実で、苦しみが無かったらトラブルに巻き込まれたら単純に苦しんでいたと思う。ナンテバカで単純な思考なんだろう。幸せ感や苦しさと言うのは、頭で理解するものではなく、身体が感じるものなんだろう。

明日から3連休

明日あら3日間、毎日テニスだ。嬉しいのですが、苦しみもある。最終日はダブルスの試合。課題が多くて、課題をコナセテないことが分かっているから、辛いのです。その結果、また同じ失敗をするのが辛いのです。と言っても少しづつ、少しづつは課題をこなしているのですが、試合をする度に新しい課題が見つかり宿題を一杯残したまま次の授業を受ける様な状態です。それがシンドイのです。でも弱音を吐いたら御仕舞い。と自分を追い込んで練習をしているのが現状なのです。いつになったら花が咲くかではなく、追い続けることに価値を感じているのです。

 

試合に向かって行く意味

私の場合なのですが、今かなりの腕に戻って来た。しかし、まだまだ課題が多すぎて、その課題が出来ないから潰されそうなのです。それを解決する唯一の方法は練習。限られた時間になっている私の年代では、効率の良いことをしなければならない。そのため大切なことは第一には健康なのですが、次にモチベーションなのです。モチベーションを維持する為に試合をを使っていることも事実。また、練習会でメンバーを選ぶのも大切なこと。メンバーにヘタレが一人入るだけでモチベーションは崩壊する。だからヘタレをメンバーには入れない。一部で私のやり方を避難する人が居ることは事実だが、何を言われてもこの方針は変えない。変えるときはテニスを止めるときだ。今造りつつあるのは、この練習環境だ。いまのところ上手く行ってる。これが崩壊したとき、私は、今のクラブを止める。

 

夕方5時になった。

明るくなったものだ。2週間前なら、真っ暗だったのに。このブログ書く意味が今日もあった。テニスクラブでの幸せなトラブルに対して進むべき方向が見えた。光が指してきた様な気分だ。なんと幸せものなんだろうと思っている。他人がどのように思おうとも私の方向が決まった。夕方5時の真冬の日暮れ時、幸せで心が温もる思いだ。感謝感謝。

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一つ進むと、一つ足を引っ張る

テニスクラブでも

シングル練習会も多くなり、実績も出来て来た。良いことなのだが、礼儀知らずの生意気な奴らも増えている。若い奴ではない。高齢者だ、若い奴の方が礼儀を弁えている。というか我慢しているのかも知れない。私のテニスのこの3年は他人から見ると変わりすぎている。それは私も認めるところなのだが、だらだらしか出来ない同年代は、どうしようもない。表面だけ作ろって、切ることが最優先なのだ。何時までも彼らの身勝手を放任できない。と言って彼らを説得しても意味がない。私のテニスを求めるて努力して、回りの変化を待つしかないだろう。私としては、レンタルコートでのテニスを中心にして、メンバーも新しく構築することだ。

 

独りになることを怖がっては何もできない

独り強がりと言う意味ではないが、独りになる恐怖心が皆にあるから可笑しくなっていることも事実だし、そこに漬け込んで他人を振り回している奴まで居る。何故私も独りを怖がるのだろう?本能的に怖がっているのが、実に愚かだ。今私に必要な人間が誰か?それを考えれば良いだけなのに。

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2021年が始まった

今年はどんな年?

今年に入って始めてマクドに来た。週に3回はお世話になっているお店だ。この年でマクドは恥ずかしいかな?今年の正月は珍しく注文が多くあったので、その発注を家を出る前にこなして来た。年末、年始に約70万円もの注文をいただいた。ありがたいことだ。

年始早々にシングル大会に参加

茨城でシングル4試合できる大会に参加した。すごく良い練習になった。月に一回は対外試合にでる計画なのでこの大会は大きな意味を作ってくれる様に感じている。今回初参加だったのだが、目が開いた気がしている。自分のレベルを再認識した気がしている。あのメンバーで上位に入れる実力を付けなければいけない。その道程は結構あるが、充分に可能だと感じているから今年の目標をそこに置こう。

貧困生活から脱出したかも

長年の貧困生活が見に染みているせいか、今の生活は天国に居る様に幸せだ。天国や地獄はないことを証明しているような経験かもしれない。経験的には、こんな幸せ気分は続かないのだが、できれば続いて欲しい。

自分の人生の舵は取っていると思っていた

この年まで、転がって来た結果に今生きていると思えて来ている。色々悩んで来たのに、タダタダ転がっている、それが私なんだ。このまま転がって行けば良い。そんな気になってる。それは、幸せの中に居るからなのかな?明日も朝からテニスシングル練習だ。まだまだ未熟さを叩きのめされた良い機会を与えてくれた。昨日の試合は大きな意味を持っていた。これだからテニスを続けたい。新しい世界に道案内してくれる。新しい世界を一つ一つ潰していきたい。この冒険が楽しい。次の目標を見失うことは良くあることなのだが、知らない人との試合は、失いかけている視線を正してくれる。

残務整理と準備の年になりそう

今までの残債や残務を整理しながら、準備することが大切だろう。準備する方向が見えないと思っていたが、見えている方向もある。だから、今見えている目的だけに絞らずに余裕を作って、見えているものの準備をすれば、自然に世界が広がる気がしている。今見えている、見ている世界を半分と想定して準備をすれば良いのだ。こんな簡単なことに気づかなかったのが恥ずかしいくらいだ。転がっているのだと認識するだけで、気持ちも楽になるし、分からないことまで考える必要がなくなる。頭の中が晴れると、新鮮な空気が入ってくると、自ずと転がり始めるのだろう。分からないこと悩み、頭の中が重く澱んでいると転がりは止まってしまうのだろう。私は今まで渋滞している道に迷い混んで、その状況が渋滞の中に居ることも認識できない状態で、それが普通だと思い込んでいたのだろう。前に進むと言うことは、意味が違って、転がれる自分を準備しておくことなのかもしれない。自分が持ってる目標は半分もあればそれで良いのかもしれない。仮に目標が半分あっても残務が半分残っていれば、頭は澱んで重い状態になり転がれないのだろう。今の私は半分の目標が見えているのだから、とても幸せな状況なのだと理解しなければ、そして残務をできる限り整理して体を、頭を軽くすることなのだろう。今まで目標を明確にして、目標で頭を一杯にすること、そこに進んでいるという錯覚、錯覚していることにも気づかずに、そんな状態が正しい姿だと思い込んでいた様に思える。新しい目標は何時入ってくるか分からないが、それを受け止める準備は大切なことだ。

また、テニスメンバを変える時期が来た

皆、自分しか見れなくなってきているのだろう。しかし、それで自分と意見が違うから、他人を悪く言って済むと思っているのだから切り捨てるしか道がない。その対象が二人もいる。私の変化もその原因だ。それも仕方がないこと。私としても、彼らに付き合っても何のプラスもない。もちろん楽しさも感じない。そんな身勝手な奴離れなければ、同胞を見つけて次は悪口の連呼になるだろう。早く退散しなければ行けない。次の練習相手を探そう。それしか残っている道はそれしかない。何をやっても移り変わりはあるものだ。そんな事を言っている私も、自分の安定を求めているのだろう。その甘えが影響しているというのも一因である。今、新しいメンバーとして誰を見つけるかが問題なのだが、急いではいけない。自分に出来ること、自分のテニスの実力を上げることを日々努力して、環境の変化を待ち、新しい出会いを待つことだ。これが、65歳にして漸く学べた術だ。目的に直球で走ると転んでしまうことが多い。また、孤独な時間を友達にしなければいけないのだ。テニスクラブで唯一の友達と思っていた人間も今では礼儀を忘れて身勝手が過ぎている。今年は仕事もテニスも、身辺整理を進める年になりそうだ。整理して自分を高める努力を継続することで、自ずと道が見えてくるものだ。私の人生は転がっているのだから。自分で出来ることは、転がれる様に、身辺整理をして角を取ることなのだろう。

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クリスマスの夕方

川西能勢口のドトールコーヒー

2020年も終わりなんだ。昨晩は珍しく嫁とクリスマスディナー。二人での食事なんて何年ぶりか分からない。元気に生きれるのが後何年あるか?そんな考えても分からない疑問が沸いてきた。そんな歳になっている証拠だろう。仲の悪い夫婦なんだが、お互いに子育て略卒業を祝ったようなイブだった。私の仕事が何時まで続けられるか?それも分からないが、分からないと言って済んでしまう環境になったことで気が楽だ。今は、人気の多くない川西能勢口のドトールコーヒーで寛いでいるが、私は何か他に何かを見つけたい。一つはテニスなんだが、毎日できるものでもない。やり過ぎても体を壊しそうだから。テニスの休憩時間に楽しめる趣味が欲しいのだ。この3年間は仕事をしなければ、最後の荷物を背負った仕事をしなければとの思いで一杯だったが、今は変わった。マンションの借り入れ残高が1000万をやっと切ったことに喜びを感じているのが今なんだ。10年前に2400万円あった借り入れ金が990万円になった。大きな大きな喜びだ。でもこの喜びに集中することはできない。

車中泊旅行?

楽しみになれば良いのだが、車中泊旅行を考えている。と言っても車中泊昼寝になるかもしれないと思ってる。朝から出掛け、景色の良いところで車を止めて、昼御飯を食べたり、コーヒーを飲んだりして、昼寝する程度になるかもしれないが、それでも楽しめれば良いと思っている。車の中にベッドがあれば、天気が悪くても、それなりの楽しみができると思える。そこで写真撮影も良いだろうし、自転車を持っていき、サイクリングを楽しむこともできる。京都へ行っても車は駐車場に一日置き、自転車でクルクル回る。駐車料金なら1000円程度であるだろう。疲れたと思えば昼寝ができる。それでも良いと思っている。それが私の車中泊旅行になり、楽しめれば良い。それでも行動範囲は大きく広がる。それが楽しければ、泊まりで行けばもっともっと行動範囲が広がる。近場で言えば、服部緑地公園に車で行き、公園の中を自転車で回っても楽しいだろう。それを写真に撮っても楽しい様に思える。自転車用のドライブレコーダーを付けても楽しいかもしれない。この準備が整えば、琵琶湖へも簡単に行ける。長浜あたりも良い良いだろう。彦根城も良いかもしれない。

新しい趣味になるかもしれない

車中泊と自転車(e-bike )は、私の楽しみになるかもしれない。それなら、仕事が続いていれば、インターネットで仕事も可能だ。仕事は別にして良いのだ。新しい趣味としてできるかもしれない。京都、奈良、岡山、白浜も行動範囲に入る。淡路島や四国もテリトリーの範囲に入る。もしかして実現できるかも・・・。まずは、具体的に考えることだ。今の私に自転車を積めて、簡易ベッドを置ける車があれば良いのだ。自転車専用道路のあるサイクリングロードがどれくらいあるのか?も知りたいものだ。

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水曜日の夕方

仕事帰り

今日は朝練の後事務所でほんの少し仕事をしただけ。今日のメイン仕事は宝塚から池田までのサイクリングだったのかもしれない。約10kmのサイクリング。今日に走行距離は約20kmになる。体力作りには丁度良い。そして今帰り道にいつものマック。高校生はは試験中なのか殆どいない。それが私にとっては良い環境を造ってくれてる。

 

これからの時間はどうしようか?

テニスの腕も回復してきたのは良いのだが、そうなると、練習になる相手が少ない。殆どいないのが現実なんだ。新しい悩み(昔に経験はしているが)が生まれてくる。自分のテニスを取り戻す為に、自分のテニスを維持しながら、向上させるために、テニスに向かう姿勢を工夫しなければいけない。こんなことを考えなければいけない状況になるとは思ってなかった。幸せの風が私を押し上げてくれているようだ。事実がどうであれ、そう思えることが幸せだ。来年はジョップテニスで100位を目指すことにする。目標をブラサナイことがテニスに向かう姿勢を造ることになると思うから。