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朝のジャズを聴いている

銀行回りを終え いつものマクド

10時になろうとしている。自転車移動にも慣れてきて川西能勢口の銀行回りは電車のときより楽だ。仕事は相変わらずではあるが、出費が大幅に減った分、比較にならない程楽だ。気楽に仕事をしていると楽しいものだ。さらにテニスも充実してきているので なんと幸せなことかと思う。ここに新しい趣味として車中泊旅行を加えることができれば、それはそれはこの世の天国の様なものだろう。70歳車中泊 と言うタイトルでyouyubeやブログの検索を始めた。内容的にはそれほど興味を掻き立てられるものではない。でも、楽しんでる方が居ると思えるだけ、私も楽しくなる。若い年代の人の趣味とは違い、燃えるものを感じることはないが、私も同じ様なものだろうと思うと、安心感を感じることはある。しばらく参考に見ていき、イメージを造ることにする。実行に移すためには借金返済の完全な目処が立つまではできないから、イメージを造る時間は充分にある。まず。事務所の冷蔵庫を買い換え、調理のいろはから手探りで始めることだろう。生きる楽しみを造って行くんは楽しいものだ。これが一番楽しいのかもしれない。もしかしたら今が一番幸せな時期なのかもしれない。この生活を5年も送ったら70歳になる。不思議な世界が現実だ。我儘な家内と日本の都道府県すべてを回るのも良いかもしれない。ただ、家内の我儘は類を見ないレベルだから、何時なんどき変わるかもしれない。だから私としては其ほどの期待はできない。彼女はそういう存在なのだ。

 

夕方のマクドに来ている

5時過ぎのマクドは案外混んでない。学校帰りの高校生が居ないのが良い。コロナの影響なのだろうか?明日は朝一番からシングル練習。継続は力なり の言葉を信じて続けている。明後日クリスマスイブは何年ぶりかの読めとデートディナーなんだが、また嫁の我儘でどうなることやら・・・・。何時もの事だからそれほど気にしてないが、厄介な女だ。明日は朝練。明後日の朝はまた銀行回り。金に余裕があれば銀行回りなどそれほどする必要もないのだが、貧乏な私は銀行での出し入れだけで時間が掛かる。息子がいえ離れると我儘娘と二人生活になるが、生活になるのか?大きな疑問だ。地方都市での独り生活も考えては居るが、決められない。ひとつの選択枝として老人施設もありうるのだと最近ふと感じた。まだまだとは思って居るのだが、そうでもないのかも。しかし、そんな施設に入ると老化は一足飛びに進むだろう。それも思うと、最悪の事態での選択肢だ。なれば、どうする・・・・自分の腹決めがないからなのだ。この不安定と貧乏が私の原動力なのだ。不安定な環境だから、何かに熱中していたいのだと感じている。66歳になろうとしているけれど、安定などない。息子の成長で幸せ感は一杯享受しているのだけれど、安定とは違うし、安定を求めることができない。こんな思いを繰り返して毎日毎日生きて20年が過ぎ、息子の成長以外に何が残ったのか?と思うと、殆どない。人生とはそんな物なのだろう。

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好みが変わってきている

不思議に思う

2年前なら、田舎リゾート地の格安マンションでも購入できれば、朝から専用温泉に浸かり、のんびり・まったりした最高の生活ができると思い、憧れていた。でも、今はそれほど思わなくなっている。珠にh夢の様に思えても、もしそれが毎日に可能になると、それほどでもなくなると思えてきているのだ。何故変わってきているのか?それより、場所が何処であれ、何をするか?がなければ退屈な日々になってしまう。今週に4日働いて、とは言っても一日4時間程度だ。週に3日はテニスをしている。仕事の日は毎朝マクドでコーヒー これが幸せなのかもとも思ってきている。格安リゾートと言え400万円から必要だ。マンションなら毎月の管理費が2万円は要る。それだけの金をかける必要があるのか?この疑問が変化の根底にあるのかもしれない。まだ実現可能な環境ではないが、2年前と比べると、近づいている。現実的に考える様になってきているんかもしれない。また もうひとつ考えられるのが、テニスで感情的な満足感を得られることができてきていることだ。2年前なら、強いたげられた環境で金を稼ぐために働き、借金を減らすために最低限の生活で我慢していた。そんな環境では、リゾートマンションでののんびりした生活が夢に思えていたのだろう。

テニスの腕が上がれば 車中泊でツアー気分も最高だろう

日本中とはいかないが、西日本なら可能だろう。その為には、試合で2~3回勝てる様にならなければ楽しくない。今は漸く参加しても可笑しくない程度。一回戦は勝つ方が増えてきた程度で、2回勝てるとはちょっと思えない。でも低いクラスの試合なら、2回戦勝ち抜くことも充分可能に思えている。後半年から1年掛かると思っているが。テニスの目標が現実的になり、楽しみ方も分かって来たことが大きいのかも知れない。と考えると、お金の問題で、格安とはいえ、そんな大金を掛けることのリスク。生活の圧迫を考えると、表現が悪いと思うが、ニュートラルな状態お維持できる範囲でお金を使うべきだと思えてくる。車中泊を基本にすれば、状況の変化に対応しやすい。結局貧乏旅行になってしまうのかもしれないが、それが私のスケールなのだろう。自分のスケールを逸脱すると、何か想定外のとき大変な目に会うことがあり、そんなリスクを今から受けると苦労だけを背負いどん底に落ちることになるからだ。今までに何度か経験しているから、今さら、経験を増やしたくない。そんな思いがあるのだろう。

 

退職後の年齢で車中泊で釣りや登山などを楽しんでいる人のブログ

ネットの便利さを教授している。マイナーな情報も得られるのもネットの魅力だと思う。定年退職した趣味として車中泊旅行を楽しんでいる人のブログを見つけた。私が探している楽しみ方のひとつだ。リゾート地に自己所有物件を持って楽しむより資金的に負担が少ないし、自分をニュートラルの位置に置ける。これは金銭的な問題が大きい。金銭的に余裕のある人は良いだろうが、精一杯の資金でリゾート地に物件を所有しても自分を縛り付けることに為りそうだからだ。自分の仕事を続けて、まずは借金を返して、その次の課題だから、根底にある何時まで仕事を続けられるか?それも誰にも分からない。これを前提に考えるとニュートラルな位置を維持することが大切に思える。今の生活も幸せなのだから、高望みし過ぎることは禁物だ。車中泊ブログの方々は皆夫婦での行動になっているが、私の場合は独りになる。正直な感想は本当に夫婦二人で車中泊旅行して楽しいのだろうか?と自分の生活を基準に考えると大きな違和感がある。羨ましくはあるが、私の経験で言うと考えられない。私はパラレル夫婦が一番幸せと思っているタイプだから。

 

事務所の冷蔵庫の買い換え

車中泊にせよ、リゾート地での暮らしにせよ、自炊の楽しみは大きいと感じている。何も出来ない私には、まず事務所で昼御飯の自炊を楽しむことだと考えているから、その為に冷蔵庫を買い換え食材を保存したい。せめてカレーなど簡単な調理から始めたい。今あるのはホテルにあるような飲み物だけが冷やせる程度の小さな物だから食材まで保管できない。冷凍食品も保存できる最小のもので良い。それがあれば、ちょっとした練習ができる。今の冷蔵庫は買って1年くらいだからネットで売れれば良いと思う。廃棄するにも金が必要だから、買ってくれる人がいれば値段はいくらでも良い。ゼロ円でも廃棄料が儲かると考えれば良い。

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一難去って また 一難

テニスクラブでも色々

それぞれに思いが違い、擦れ違い多いものだ。私のテニスのテニスの復活度合いが急だから、私の考え変わってきている。でも殆どの人はそこに気づかない。それより本来私はトラブルメーカーなのか・・・今までの私なら、こんなとき無難に過ごす方法を考えた。しかし、今そんな気はない。今まで合わせて来て差雨後は裏切られた経験が殆どだから。どうせ1人だから自分の考えを通す。合わない人間とは付き合う来もない。望むところは離れて欲しい。私からすれば切りたい人が何人もいる。と言うと誤解されそうなので補足すると、私の変化に気づかない人が多く、その人達とテニスの会話が成り立たないから話ができないからです。私はテニスクラブで、腕が元に近づくにつれて、どんどん無口になっていくのが辛い。試合と同様なのだろう。テニスクラブでは、テニス以外の話をするようにすれば良いのだ。どこでも人間の世界は相似形なのだろう。バカな私は今になって気づくことが多すぎる。

大した事ではない

気の小さい私だから、ヤキモキしていたが、大したことではない。元へ戻そうと思ってしまうから面倒なので、今が始めと考えてこれからどうするか?と考えると、いくつでも方法は見つかるものだ。結論から言うと新しいメンバーを見つければ良いだけのこと。新しい形になれば、それをとやかく思う人も居なければ、それを、どうこう言う人もいない。皆ことなかれなのだから。揉め事を嫌っているだけで、平穏な中で自分の立ち位置が守られていればそれで皆OKなんだ。今までの形が崩れただけの話。何てこともない、他愛もない物語だったんだ。そこで新しい形の模索を始めなければいけない。面子が居ないから、外のメンバー探しになるのか、他のクラブに参加するか、ジョップ大会でメンバーを探すことも大切だし、それが一番早いかもしれない。新しい世界に向かうのだ。テニス元年を迎えられるように日々努力することだ。

寒くなって対応が遅れた

急に寒くなって、着る服の対応が遅れ寒さを感じながら過ごしていた。今は服を代え暖かく過ごしていると、寒さも心地よく感じる。マクドでブログを書き頭の整理をしているのも心地良い。気持ち良く自分の世界に入り込める。

今日事務所のパソコンの電源が入らない

以前にも一度あった現象で、そのときは自然復帰した。今回はダメなので焦った。午前中に出荷準備を完了させる荷物が二つあり、パソコンが動かせないと送り先が分からない。他、午前中に発注しなければいけないものが2件あった。苦肉の策でいつもはブログ作成に使っているタブレットでできるはずなので、始めて挑戦した。使いにくいので時間は3倍から4倍かかるが上手くできた。結果的に良い経験になった。これで旅行などのときでも、タブレットがあれば何とか処理できる。考えてみれば大きな成果だ。今日の仕事で一番大きな成果を上げたと思える。便利なものだ、一万円を切って買ったタブレットでFAXまで出来るのだから。問題を起こしたパソコンは蓋を開けてメモリーの差し込みを入れ直したら、これが偶然なのあ治った。ラッキーだと思う。一時はパソコンの購入を真剣に考えた。また無駄な出費になると思い、嫌な気になっていた。今ならパソコンを買うくらいの金は問題ないのだが、貧乏性は代えられない。でも不思議と今日のトラブルは良い結果を導いたので成果が大きい。

私は小さな器の人間

細かな事を気にして、大切なことを忘れてしまう。そんな出来損ないだと改めて関心した。自分が変わったとっしても、回りが変わったとしても、同じ様には行かない。でも、そこに気づかず、自分の立ち位置を同じに考えて元のまま変化せずに自分の目的に進めようとする。これは皆同じ思考を持っている。すると摩擦が生じる。今回のテニスクラブでのことも同じ。この調整を考えても、私が譲歩したとしても、結果が良くなることはない。皆自分のことしか分かってないからだ。一部に色々な変化を分かっている人もいなくはないが、でも、そんな簡単な話ではないので、分かっている人ほど静観している様に思える。言い換えれば、私のてに終えるものではないと言うこと。だから、次の方向に動かし、そこに賛同する人を見極めることが大切なんだ。それを理解しない、または理解できない人が殆どだけれど、それはそれで仕方がない。区切りを付けなければ自分が潰される。単純な話なのだ。今が、これからのスタートなのだ。この思いが一番大切なのだ。

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冬到来?

12月の半ばと言うのに、スキー場にまだ雪がないそうだ。今回の寒波で少しの雪は降るだろうが、12月に雪がないと言うのも聞きなれてきた。温暖化なのか、ポールシフトなのか?私はポールシフトだと思っている。

朝マックでブログと音楽、自分の世界に入り頭の整理をするのが心地よいのだが、こんなことにでも波があるんだ。最近はそれほど感じなくなってきた。どこか大自然の中で深呼吸しなら朝御飯を食べたい。そんな気分になることがる。どこまでバカなのか?と思ってしまう。飽きっぽいのかもしれない。

年末の売り上げ

昨年の11月の売上は良かった。記録的な売上だったが、今年の11月昨年の1/3程度。でも決して悲観するほど悪くはない。しかし今年12月は昨年を少し上回る程できている。年間通すと昨年の1割減程度で納められそうだ。コロナの影響でもっと悪いかと思っていたが、その割りには良い結果だ。少なく考えても後3年この売上と利益を得たい。それができれば、私の借金も終わることができそうだから。そのとき私は70才に近くなっている。そのときもテニスに明け暮れていれるのか?そうであれば幸せだ。今でも幸せなのに、さらに幸せだ。テニスを再開した頃は65才になったときを考えていたが、今は70才のテニスを考えなければいけない。仕事、テニス、それに加えて、旅行か何かの趣味を増やしたい。海外旅行、特に近場のアジアへの旅行をしたいのだが、コロナ騒動でコロナが落ち着くまで、私の問題を除いてもできる可能性もない。

色々と出来る環境が近づいてくる?

出来ないときは、夢の様に思い憧れていたことが、出来るかもしれない、近づいてくると、不思議と魅力が薄らいでくる。夢は出来る可能性がないときが一番美しいものの様だ。全国のジョップテニス大会に出場し旅をするのも良いと思うが、その為にはもっとテニスレベルを上げなければ楽しくない。2~3回は勝てる実力ができれば楽しいと思う。本当に自分が楽しめる趣味を見つけられることができれば最高だろう。自分にしろ、回りを見ていても、何か回りから羨ましがられることに、自分を満足させている、そこで自分を誤魔化している。そう感じている。これが事実なら、それほどの貧困コンプレックスは惨めに思える。今がスタートラインだと考えて、これからの自分の生きる方向を探したい。金が有るだけでは何も楽しめない。しかし、ある程度の金がなければ何もできない。生きているだけで楽しめるほどに私は人間が出来ていない。だから、仕事は続けなければならい。それに、仕事も楽しみのひとつで有ることに違いはない。

私の事務所は 隠れ家

事務所を、私の隠れ家にすれば楽しいだろう。と言っても普通の住宅地にある隠れ家になる。今はヨーグルトメーカーで甘酒とヨーグルトを造っている。毎日食べている。美味しくて体にも良い様で満足している。こんな事からレベルを上げれば良いのだろうか?料理をもう少しでもするなら冷蔵庫がいる。今あるのは小さな寝室用程度の冷蔵庫。買うなら冷凍庫もある小さなタイプが良いな。息子の学費が必要なときは、昼飯代も気にして安くあげていたが、昼飯をあまり食べないようにしていた時期もある。しかし、今はそんなに気にすることもない。事務所はワンルームマンションなので小さなキッチンもついている。生まれて始めての自炊になるのだ。目先の楽しみとしては良いものだろう。好きなものを造るのは楽しみになる。こんな些細な楽しみで生きているのかと思うと、不思議な幸福感が味わえる。小さな人間と言われてもその通りなんだが、ほのぼのする温もりを感じる。新しい楽しみが欲しいのだ。昼御飯を造る楽しみができれば、それで良い。仕事の行き帰り、マクドやドトールでコーヒーを飲み幸せを感じて、テニスをして幸せを感じて、一番大切な家族も息子が社会人になり、残る問題は嫁との関係がどうなるか?まだ未知なのだが、パラレルでもたまに旅行にでもいく関係に修復できればそれで良いと思っている。ただ、とてつもない我儘娘だから予想はできない。でも子育てという人生最大の事業を遣ってきたのは大きな現実で、その息子が社会人になるのだからそう言った意味では感謝するべき相棒なのだ。

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サブスクと言う仕組みが流行り始めている

新しい仕組みには興味が沸く

田舎生活というか、地方町での生活に憧れがある。と言ってどの場所が良いのか分からないし、場所だけの問題ではなく、回りの人の問題が大きいだろう。また、まとまった金もない。でも暇に任せて調べているとサブスクと言う仕組みがいくつもあり、毎月定額で宿泊できる場所がいくつもあるという、ある意味で遊休というかリサイクルの新しい仕組みだと思っている。一時期は倒産寸前のホテルや旅館を安値で買い、新しいシステムで格安で留まれるホテルが流行っていたし、今でも力を持っている。次にairbbそしてサブスクだと言う流れだと理解している。これら余っている施設の再利用だと理解している。社会が地盤沈下しているとき、再生事業が必要になるのだろう。

 

私は利用者として探している

まだ、私に似合った仕組みは見つからない。サブスクの発想は素晴らしいし、若いエネルギーも感じる。しかし、サブスクの対象は若い、リモートワーク世代を狙っている様に思える。ドミトリーが多いのはそんなところに影響されているのだろう。私の年齢に影響されているだろうが、個室で自分の時間が欲しいから、なかなか見つからない。また、定額性で入会すると、毎月料金を聴衆される仕組みなので気が重い。楽しく生きる方法を模索している私の目的とは少し違う。結局は車中泊の旅を楽しむことが現実的かもしれない。

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朝陽が輝いている

朝9時でも 朝のひかり

冬の日のでは遅いので9時の朝のひかりも、清々しく感じられる。自転車で事務所に通勤し始めて、初の冬だ。暖冬だけれど、朝晩は寒い。それでも自転車に乗って体を動かすと、目が覚めたり、気持ちが変わる。いつもの道を走っているのだが、季節の移り変わりを目と肌で感じられるのも嬉しい。ゆっくり走っているのだけれど、少しのスピード感は感じるし、反射力も維持できる様に感じている。良いことばかりだ。駅前の駐輪場は1時間半まで無料なのも助かる。駅近辺でコーヒーを頂くのも殆ど日課になってるから、駐輪無料は嬉しい。自転車のメリットが今更なんだが分かって来た。加齢とともに行動範囲が小さくなっている。最後は病院一部屋になるだろうから当たり前のことなのかもしれないが、今の生活に慣れてきたら、また行動範囲を広げようと思っている。とは言っても旅行やらテニスでの遠征試合程度だ。

 

銀行で共済のひとつの手続き完了

まだ1つ残っている。税務署が発行している納税証明書(その1)が必要だそうだ。インターネットでの申し込みもできるようなので調べてみる。でも手間なことだ。節税になるので仕事だと思わなければできることではない。しかも、これは嫁の収入に対する節税だから余計にそう感じる。銀行が川西能勢口に揃っているので便利ではるが、何度も何度も来ている、その度にマックでコーヒーとブログでまったり時間を過ごしている。そして仕事場に向かう。仕事をしている時間は3時間から4時間。それで切り上げまた帰り道に川西能勢口のカフェでコーヒーブレイク。これが私の週に4日のルーティーンになっている。これで少ないとは言え収入があるのだから幸せだ。今までの生活苦を考えると比べ物にならない。今までは、テニスと仕事に明け暮れていたけれど、プラス何かが必要なのかもと思ってきた。それは、マックとブログで憩いタイムの進化版なのかもしれない。

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冬の日暮れは早い

まだ5時と言うのに

もう暗い。夏ならまだまだ明るい。二時間近く違うものだ。暗くなると寂しさを感じるものだ。今日はマックに来ている。自転車を停めて、100均で事務封筒を買ったあとなので、近いのがマックなので前を通ると空いていたので入った。お店には悪いが、これくらい空いてないと落ち着けない。私は空いている時しか入らない。毎日こんな日々を送っている。テニスでジャパンを目指すことにブレはないけれど、色々と充実させたい。残っている健康を伸ばすためでもあり、楽しめるだけ楽しみたいから。この20年間は私の基礎を造る時間を与えてもらったと思っている。今スタートラインに立たせてもらっている。四方へ走ることはできないが、幸せな走りをしたい。今でも、暖かいコーヒーを飲み、駅のコンコースを歩く人をボンヤリ眺め、音楽を聞いているだけで幸せなのですが。もしかしたら、これが幸せ感と言うものなのかも。とも感じている。

 

明日の朝も同じ席に座って

考えれば、贅沢なものだ。お金は必要だが、安いお店でも充分な幸せを与えてもらえる。テニスも金は掛かるが安く楽しめる方法を考えれば見つかるものだ。テニスから数えきれない幸せをいただいている。考え直せば、家族から貰っている幸せが最大級のものだと思う。こんな基本を離れて、華々しい幸せを求めるから裏側の不幸がのしあがって来るのかもしれない。力強く昇ってくる朝日を見て幸せを感じて、沈んでいく夕日を眺めて満足を感じられることが最も幸せなのかもしれない。そんな日々を送れる棲みかが欲しいのだが、それは叶わないかもと思えてきた。何故かは今一分かってない。

 

新しい棲みかを模索したサービス

リモートワークが増えていることが理由なのかもしれない。若い世代の人が考えて新しいサービスを提供してくれるからだろうが、地方や町中でも空いている家を活用して安く留まれるサービスの提供が始まっている。いなか移住的な発想も満たしてくれるかもしれない。ただ、私からすれば、若い人向きで、私の求めるものとは少しズレがある。その点  airbbの方がシステムとしては敵っていると思えるが、家をそのように提供してくれる人がいないようだ。また、私は一人で動くことを基本に考えているが、今ある家の提供者は複数人数、グループを想定してる。それなら、私が、どこかに棲みかを造って、それをairbbのシステムに載せ維持費を賄うことを目的にするのも方法かもしれない。採算を考えると難しいのだ。管理が楽なのはマンションなのだが、マンションは管理規約の管理費が高い。それなら、ホテルに留まってるいる方が快適で間違いない。そんな堂々巡りに填まってしまう。結局ダメな発想と思えるのだが、それもまた楽しいから、まだ考えるだけ続けよう。

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今年も残り3週間

過ぎて行った時間は早い

また年を取る。当たり前のことが寂しく思える年代になったんだ。昨日は私としては今年最後の`ジョップ大会に参加した。一回戦勝ち二回戦で負けた。相手は第一シードのポイント700点くらいの選手。昨日は負け試合で私の実力不足なのだが、練習を重ねれば、負ける気がしない。最近の不思議な感覚なのだ。逆に言うとあの程度の試合なら勝って当たり前になれる。そうしか感じない不思議な感覚なのだ。勝てる様になれることには何の疑問もないのだが、その為には練習相手を選ぶことが大切だ。もしかしたら、このポイントが最大の有用ポイントに思える。それプラス練習量だ。若いときの様に長時間練習ができないので、小分けにした日にちを費やした練習だ。この両方を実行するためには、無駄な練習は避けたいが、避けれない練習も含めてこなすことだろう。

朝のマクドでのブログタイム

不思議な時間だ。自宅で味わえる時間ではない。自分の世界に入っている時間なのだが、回りの少しの騒がしさが絶妙のバランスをもたらしてくれている。つい先日、大自然の中で孤独を楽しむ気持ちでテニスの試合ができれば良いと感じてたが、いざ試合をしてみると、そんな余裕はまったくなく、打つことに必死だった。私の仮説も正しい面があると思っているが、まだまだ私にできる物ではなかった。すこしづつ近づけたい。少しでも近づいてから、考え直すことにする。

今まで充分だった練習相手がもの足らなくなってくる。

勝ってなものだとはわかっているが、現実なのです。ジョップ大会でポイント500点から700点程度の相手と対戦する機会が増えてきて、そんな相手に勝って当たり前のイメージができてしまうと(現実は負け越している)練習相手を探す必要が切実になってくる。今回りを見渡しても、人がいない。若干名いるが、みな色々な人との付き合いがあり、簡単ではない。

何も出来ていないけれど1年は終えていく。

その日その日はそれなりに頑張って生きたと思っているのに、1年が過ぎると何も出来てない。後悔と言うより、虚しさに沈み込んでしまう。なら、来年頑張れば良いのだが、私の発想では難しいのだろう。ただ、それでも何事もなく1年が過ぎていくことが幸せなのかもしれない。そう思うことも多くなってきた。これが老化なのだと自分でも思う。強いて言うなら、今年の変化はジョップテニスに参加したことだろう。来年はジョップテニスで上位に入ることを目標にする。仕事は相変わらずでは嫌なのだが、何をすれば変えられるのか?未だに分からない。分からない事ばかりだな。何年生きても分からないのだろう。こんな事をグダグダ言っている内に人生が終わるのかもしれない。今はそう思い始めた。それを避けるためにもテニスや仕事を続けなければ自分を見失いそうなんだ。見失ったところで大きな変化もない自分なんだとは思うが、生きる目標を無くしたくない願望なんだろうか?いつまで経っても自分探しをしている自分が滑稽にも思える。探しても見つかけられないのが自分探しなのだろう。仕事をどうするか、これをシッカリ考えないとダメになるかも?