今年も残り3週間




ロハスショップ

過ぎて行った時間は早い

また年を取る。当たり前のことが寂しく思える年代になったんだ。昨日は私としては今年最後の`ジョップ大会に参加した。一回戦勝ち二回戦で負けた。相手は第一シードのポイント700点くらいの選手。昨日は負け試合で私の実力不足なのだが、練習を重ねれば、負ける気がしない。最近の不思議な感覚なのだ。逆に言うとあの程度の試合なら勝って当たり前になれる。そうしか感じない不思議な感覚なのだ。勝てる様になれることには何の疑問もないのだが、その為には練習相手を選ぶことが大切だ。もしかしたら、このポイントが最大の有用ポイントに思える。それプラス練習量だ。若いときの様に長時間練習ができないので、小分けにした日にちを費やした練習だ。この両方を実行するためには、無駄な練習は避けたいが、避けれない練習も含めてこなすことだろう。

朝のマクドでのブログタイム

不思議な時間だ。自宅で味わえる時間ではない。自分の世界に入っている時間なのだが、回りの少しの騒がしさが絶妙のバランスをもたらしてくれている。つい先日、大自然の中で孤独を楽しむ気持ちでテニスの試合ができれば良いと感じてたが、いざ試合をしてみると、そんな余裕はまったくなく、打つことに必死だった。私の仮説も正しい面があると思っているが、まだまだ私にできる物ではなかった。すこしづつ近づけたい。少しでも近づいてから、考え直すことにする。

今まで充分だった練習相手がもの足らなくなってくる。

勝ってなものだとはわかっているが、現実なのです。ジョップ大会でポイント500点から700点程度の相手と対戦する機会が増えてきて、そんな相手に勝って当たり前のイメージができてしまうと(現実は負け越している)練習相手を探す必要が切実になってくる。今回りを見渡しても、人がいない。若干名いるが、みな色々な人との付き合いがあり、簡単ではない。

何も出来ていないけれど1年は終えていく。

その日その日はそれなりに頑張って生きたと思っているのに、1年が過ぎると何も出来てない。後悔と言うより、虚しさに沈み込んでしまう。なら、来年頑張れば良いのだが、私の発想では難しいのだろう。ただ、それでも何事もなく1年が過ぎていくことが幸せなのかもしれない。そう思うことも多くなってきた。これが老化なのだと自分でも思う。強いて言うなら、今年の変化はジョップテニスに参加したことだろう。来年はジョップテニスで上位に入ることを目標にする。仕事は相変わらずでは嫌なのだが、何をすれば変えられるのか?未だに分からない。分からない事ばかりだな。何年生きても分からないのだろう。こんな事をグダグダ言っている内に人生が終わるのかもしれない。今はそう思い始めた。それを避けるためにもテニスや仕事を続けなければ自分を見失いそうなんだ。見失ったところで大きな変化もない自分なんだとは思うが、生きる目標を無くしたくない願望なんだろうか?いつまで経っても自分探しをしている自分が滑稽にも思える。探しても見つかけられないのが自分探しなのだろう。仕事をどうするか、これをシッカリ考えないとダメになるかも?

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