束縛され自由を奪われ




ロハスショップ

生きるために働く

金の奴隷として教育されていたのだろうとは思うが、今の時代を生きる為には他に方法などない。ごく一部世捨て人になれば可能だろうが、世間からは大きく外れる。世間から外れすぎると違う意味での束縛を感じる様に思える。そして集団生活と言うのは時間にも束縛される。金と時間管理で追い込まれて生きている。そして優劣を付けて争っている。それが自分の為だと思い込んでいる。そうやって生きる以外に考えが浮かぶ人は殆ど居ない。流れに沿わないと仕事は殆どない。これが社会なのだ。今そんな社会枠から外れて 自由を得られる環境になったと言うのも年金制度の恩恵である。私の年金は少ないが、最低の生活は何とかできる程度ある。これが定期的に入るからこそ今の自由がある。嬉しくはあるが、生きること、食べることが一番大切であり、それだけでも、殆どの自由を奪われていたことを改めて気づき驚く。言い換えれば、今の自由は本当の自由ではなく、与えられたご褒美だと言える。苦しい時期が長かったが、その苦しみから解放されたことで幸せを感じているとも言えるのも事実だ。今日など、事務所に行くのは、テニスの為の自転車トレーニングの様なもの。恐らく、なにもいないだろう。それが許されて幸せお感じない奴は居ない、もしくは、少ない人々だろう。この自由を、と言ってもまだ借金返済があるので稼ぎは必要だが、極端に言うと、稼いだ金は小遣いと借金返済で良いのだから。この自由、限られた期間の自由をどの様に生きるかが今の課題なのです。このブログの題材も見つかった気がする。スポーツ、仕事、趣味、家族 これらが絡み合って生きているのだが、夫々のウエィトが環境で異なるだけなのだろうと思うが、そのウエィトで生き方は全く変わる。一番大切なのが家族なのだと思うが、またここでも問題は多い。

束縛から解放されても

自由になれるのに、束縛が恋しい。バカとしか言い様のない現実の一面。自由と言うのは何をして良いのか分からない。昨日も今日も殆ど仕事などしていない。自転車通勤でテニスの為のトレーニングをしたこと。そしてフジカに荷物を送ったこと。メールを2通ほど送ったこと。のべにしても2時間程度だろう。余った時間はビデオ鑑賞という気儘な時間を送った。良いのだが、何か物足りない。こんな感覚は学生時代以来始めて。長期休暇とはまったく違うものだ。自由に生きることとは?私は貧乏生活をこの20年送って来たから借金だらけでなんの貯金もないから年収200万円程度を稼ぎたい。しかし、稼げなくても何とか維持できる環境を造る。テニスに掛ける時間を優先して、毎日働くことだと考えてる。しかし、長時間働くだけの体力や精神力がないし、そこまでしたくないので、働くと言っても毎日3時間程度を考えている。月、火、金は終日フリーに働くこができる。土、日、水は2時以降。木は午前中というのがテニスを外した時間割りだ。そう考えると、月、火、金は半日以上フリーな空き時間になる。散歩したり、ポタリングしたり、写真を撮ったりすることも十分可能だし、近場であれば観光にも行ける。私は家に閉じ籠っているのが苦手だから、近場の観光地、箕面、京都、神戸、有馬、六甲山など毎週の様に行ける。手短なもので考えるとサイクリングだろう。ただ、良い道がないので、サイクリングはちょっと足踏みを踏む。河川敷のサイクリングロードは良いが、猪名川と武庫川程度。車に自転車を積んで行けばもう少し遠くへ行けるがそんな車がない。河川敷のサイクリングロードでいける先と言うと伊丹程度だ。自転車のバッテリー容量の大きいものが欲しくなる。今はカフェでブログを書いて何らかの満足感を得ているが、それだけでは、何時までも続かないと思う。自分で作る遊びを考えているのだ。

ステップアップしていける仕事が欲しい

一日が8時間あるとして、月、火、金だけで、24時間ある。仕事は毎日3時間もあれば終えられるから、この3日だけで15時間もフリーができる。この3日は午前中に仕事を終えさせて、昼からはどこかのカフェに行き ステップアップ出来る仕事を探したり、土台作りに当てれば楽しそうだ。

 

ステップアップできる仕事として

ブログが考えられる。今アクセスをもらっているのは、photopeaの説明ブログとショッピング(カウンターチェア、とスマーティ)だ。それでも合計して毎月1000円~2000円程度。これを10、000円を越すための対策や、今書いている 「束縛を解かれた生活」をテーマにしたブログも若干の可能性があると思える。

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