何十年と金に束縛され・・・




ロハスショップ

2020年の会社決算がほぼできて

今までで最高の決算になるだろう。来年も続いてくれれば、と甘い期待をしてしまう。夢になってしまうのだろうが。もし・・と考えると、私の借金奴隷生活が解放に早まるだろう。そこで、ふと思ったのだが、今まで束縛された生活を送っていたのは、金の為だけだったのかと、思わず虚しくなる。そして、これからはどの様に生活しようか?と考えてしまう。息子が何とか、と言うより、私の生活環境から考えると、良く成長してくれ、社会人になれるのだから、こんなに嬉しいことはない。その為に束縛された苦しい生活をしていたと考えると、満足するのだが、そのことに気づいたのが今なのだから、なにか虚しいのだ。過去を振り返っても何も変わらないが、過去を参考にこれからの生き方を考えたい。家族との生活が何時終わっても良いのかもしれないとも思えている。友人と言っても居ない。精々テニスでの話し相手程度しか私には居ない。正直言うと、そんなものどうでも良いと思えることもチラホラ。結局独りでの生活ができない者は強いものに巻き込まれて生きている。他人は他人の考えでそれが良いのかもしれないが、私はそんな柵ない方が良い。そう考えている人間だ。そう、今日は会社の決算のことで気持ちの整理がしたくて、ブログを書いているのだった。横道に反れてしまった。独立して、自分の会社をもってから最高の決算は良かったが、所得税は、繰り損でカバーできるが、消費税は逃れられない。恐らく40万円は支払わなければいけないだろう。そんな金残っているのかが分からない。偶然でもこの利益を出せたのだから、今期も維持出来るように努力するべきだ。

金の束縛から解放されたら

仮にの話だが、妄想に終わってしまうだろうが、金の束縛から可いっ方され、金の奴隷生活から解放されたら、私はどんな生活を送るのが幸せなのだろうか? それを考えて、その時のために行動を起こす時期だと言うことを示してくれているのかもしれない。残りの人生何年あるのか分からないが、在るだけの人生って言うのは皆共通のことだ。嫁に束縛されることはないし、私の束縛は全て無くなり、私が本来求めていた生き方ができる環境が整って来ているとも考えられる。昨年の決算が良かったことから、こんな想定が生まれて考えているのですが、もしかすると、借金完済の時期がまだ先だから考えないのではなく、もうそれに向けて準備をした方が良い時期に入っていると言うことではないか?と思い始めた。これは、結構大きなタイトルになるのかもしれない。今までに経験のないことだし、時間も何時かは分からないにせよ限られている。ちょっとしたミステリーの様でワクワクする人も居るような題材ではないか?と思ってしまう。誰かと共同で助け合って生きれる人が羨ましく、その様な人になりたいと思っていたが、私はそれとは相当距離のある人間の様だ。さて、どの様に生きて行けば良いのか?金に束縛されてることが、今までの観念からだと思うのだが、時間にも束縛され、自分を雁字搦めにすることで、頑張っていると錯覚していたとも思える。でも実際には錯覚ではなく、それぐらいに自分を追い込まないと金を稼がなければいけない仕事など出来なかったとは思う。でも、これからは違うのだから、ターニングポイントを超えた様だから、考えを改めないといけない。

時間の束縛を緩めよう!

朝からテニスに行く機会が増えたので、最近は、夜の内に明日発注する書類などを完成させ、朝9時くらいに自宅でfaxしてから仕事場に向かっている。そんな程度の変化でも昼間の時間が自由時間に近くなっている。自由時間に仕事をするのも良いが、音楽を楽しむのも良い。ビデオを見るのも良いだろうし。映画を見に行っても良いだろう。自分独りで行動し、身がってな自由行動を楽しむのが良いと思えている。緊急の仕事が入ったとしても、携帯電話と携帯パソコン(wifi)があれば、最低限のことはwifiが届く範囲ならどこでもできる。これは、私が15年も前に理想としていた仕事環境だ。当時は金を稼いでという仕事の第一義が上手くできず、常にギリギリだったので理想など空の上にあるだけで現実味は無かった。しかし、その第一義が薄らいだだけで、理想の環境が天から降りて来た様に感じれば良いのだろう。

仕事場が隠れ家になるときが来た

まだ、仕事場は必要なのだが、その役割が隠れ家として重要になれば良いのだ。そうだ、ここを別荘だと思えれば良いのだろう。実際の環境を変える前に、自分の心の中を変えることが大切なのだ。仮に、本当の別荘があったとしたら、そこに馴染むことができれば、その環境が自分を変えてくれる可能性は十分にあると思える。しかし、今回は逆に自分の心の中を先に変化させることができれば、今は十分なステップアップができるのだろう。

所詮 始めの一歩が間違えている

私の求めているものが朧気に見つかり始めている様に感じている。しかし、私は「初めの一歩」を間違えてスタートしている人間だから、最後まで間違い続けているだろう。しかし、少数かもしれないが、知らず知らずに間違えている人も居ると思うから、共感者がゼロではないだろう。私は、本当の幸せは掴めないとも思っているから 謂わば「開き直り理論」だとも思っている。最初の一歩が大切なのだろう。しかし間違いに気づかず過ごして来た時間が長すぎ、今更、正すこともできないと思っている。

 

次は時間の束縛からの解放を

時間からの解放を考えると、昼間に事務所に籠っているのは勿体ない。最低限の仕事は自宅でこなしてしまうと、事務所は正しく「私の隠れ家」。隠れ家に行きホットした時間を楽しんでいるだけになる。そこでsなければいけない仕事をこなしますが、そうでなければ、自転車に乗ってポタリングやブログで頭の整理をして安らぐのも楽しい。考えれば、どんな立派な別荘があったとしても、時間の使い方は同じだ。どこの地方都市へ行っても同じだろう。今日から隠れ家生活を楽しむ。そうすると、テニスが中心の隠れ家生活になる。何故なんだろう?心にすっぽり穴が空いている。伴侶がいないせいだろう。わかっているが、それも仕方がないと割りきることにする。どこかで、万が一偶然があればそれはその時だ。昼間に町中をポタリングしていると、やはり独りの高齢者が多い。カフェに入っても高齢者が目につく。行くところが無いから来ているのだろう。それにしても、やっと自由が手に入ったのに、カフェで独り茶では物足りない。今まで何やカンヤ言って自分では何もできていなかった証しのようだ。それを金が無いからと言っているのは言い訳だろう。それなら、まだテニスで全国ツアーしている方が余程ましだ。他人のことを見て参考にするのは良いが、自分も何もできていないのに、他人を見下しているようにはなりたくない。強ち多いのがこのタイプだ、自由な時間を使って、隠れ家を使って、自分の時間は十分に造れる。自分の時間が十分にあるだけでは、カフェで独り本を読んでいる方々と同じだ。何か生産的な部分が欲しい。例えば、ブログでも良いのではあるが、これで毎月20万円でも稼げていれば良い。でも現実ブログでの収益は1000円~2000円。話にならないレベルだ。私が考えていることがレベルが高すぎるのだろうか?そうは思ってないのですが、自分の現実を見ると、理想が高すぎる気もしている。隠れ家から家に帰っても特に話し相手がいる訳でもない。そんな実質の独身生活者なのだから。私は何を求めているのだろう?この20年はプライドをズタズタに切り裂かれた生き方をしてきたから、なにか自慢できる生活をしたいのか?コンプレックスをバネにした力は一番強い部類だと感じている。だからテニスには力が入っているのかもしれない。自分でも感じているが、回りの同年代から見ると私のテニスに掛けている力は大きい方だ。

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