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テニス三昧の2日

家に戻って 再びカフェに

ジョップ大会でシングル3セットマッチの大会があり、初戦はスンナリ勝てたものの今日2回戦は代4シードのジャパン選手との対戦。あっけなく完敗した。レベルの差を実感した試合だったが、新しい目標ができた試合でもあった。テニスは楽しいのですが、試合に出ていると、次々と目標やら課題が見えてそを励みにするのが楽しい。と言うのが的を得ている様に感じている。目標を失うと、テニスも楽しくなくなるのだろう。少ない楽しみが消えては困るので、試合にも出続けることだと思えるのです。その試合が終わって家に戻ったのですが、また家を出てカフェでブログ生活を始めている。家の居心地が悪いと言う訳ではないのですが、習慣なのかカフェでのブログタイムが気に入っているのでしょう。

 

対戦相手のテニスが私の好きな、求めているテニス

完敗でテニスとしては出来の悪いテニスでしたが、すべてのショットがパワー、方向、角度とも私よりワンランク又はツーランク上なので今日の試合結果は当然と言える。ジャパン選手とはこの様なものなんだと見せつけられた思いです。しかし、ここで諦めるのではなく、まったく逆であのテニスに追い付く為の練習をしなければいけないのです。昨年の夏がジョップ大会初出場。そこから見れば、テニスが進歩している。自分では、時間は掛かりすぎているのですが、進歩している実感は感じられるので、納得している一面はあります。そんな鈍足の進歩では今日の目標に何時になったら近づけるのか分からない。でも追い続けることが幸せに通じることは分かっているので追い求めます。でも、まあ、ジョップベテラン大会に出場している方々は皆同じことを考えているのではないか?と感じています。狭い世界ではありますが、性格は違っても、同じ感性を持っている人の集まりだと感じているし、そんな様に感じてくれているので、話もしやすいのかもしれませんね。

 

仕事はいつしている?

テニスは充実してきているのですが、仕事はいつしているのか?夜に作業をして、朝一番に関係先にFAXする。そして昼間はテニスとブログでの頭の整理。仕事場として借りている「隠れ家」の整理も必要だな。まだ仕事を止める訳にはいかないので。無駄を省いて、経費を削減して、利益を確保しなければいけない。これもテニスと同じで目標があることが幸せに通じているから、目標に向かって励むことが幸せなのだ。

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面倒な寒い季節

確定申告の準備

何年も申告をしているのですが、期限付きで尚且つお金を支払わなければいけない というのが気を重くさせているのだと思ってます。今年から家内の分と二人分を申告するので、手間は2倍に。また 毎年のことですが、会社の決算月が12月なので、この処理も含めると3件分の税務申告が重なり12月から2月末くらいは、ズ~と思い気持ちです。会社の決算が漸く税理士から連絡があり、納税額が決まりました。なんと、私の様な個人事業に毛の生えたような法人事業主が60万円も支払うそうです。これが頭の痛い最大の原因です。毎年分割で支払っているという有様です。まあ、支払額も決まったので、次は税金を支払えば、それで終わりますので、次は個人の確定申告です。これも下案は両名分できていますので、こちらは提出し、税金を払えば終わるでしょう。感覚的に言えば、集計をしっかりして、お金を払えば終わる という感じですね。国民全員に課せられた「ミカジメ料」なのかと思ってます。

明日は 昼からシングル練習

2時間コートを取ってあるので、十分に練習できます。テニス・シングル会のメンバーが増えて、メンバーは豪勢になって楽しみです。一方で、練習量が増えて、私は着いて行けるのか?という不安も抱いてます。でも、この程度のこと乗り越えなければ、乗り越えることが出来なければ、外の試合で勝つことはできないでしょう。昨年の後半から練習量が増え始め、今では週に3日 又は4日も練習日が出来ています。

水仙を見に 淡路島へ

3週間振りに淡路島へ、今度は日帰りで行ってきます。水仙も見るのが目的なので、天候が悪ければ中止です。ホテルを予約して行けば楽で良いのですが、その日の天気が分からないので日帰りにしました。自由な時間をタップリとれば、天気の良い日に出かけ、そのとき空いている良いホテルがあれば泊まれば良いのだな~~。そんな気儘が許されることに気付かなかった。

感性が変わって来ている

昨年なら興味を示していたことが、今は其ほど興味がなくなって来ている。何故なんだろう?テニス環境の性なのか?金回りの性なのか?自分では分からない。もっと前なら、重苦しい気持ちの逃避から格安別荘を調べることが楽しかった。今も興味はあるが、其ほどでもなくなっている。仕事の行き帰りにカフェでパソコンに向かってブログを書くのが気持ちの整理になり好きだった。今でも好きですが、熱が覚めてきている気がする。テニス練習会で忙しくなって体が休息を求めているのだろうか?私はなにか1つのことを極めていくのが好きなタイプだ。と言いながら、今までに極められたものなど何も無い。でも性格は然程変わってない。ところがだ、好みが変わって来ている。テニスの充実も一時的なものかもしれない。環境が維持できても、ある程度の稼ぎが無ければ、テニスすら維持できないのも事実なのにね。仕事の目処は立ってない。と言うか、今までの成り行きでやっていると言うのが現実。今まで遣ってこれたことは運が良かったと言えばそれまでのこと。20年間も自営業を続けて来て、何も掴めてないこの愚かさには自分でも関心するし、運については、良いのか悪いのかすら分からないのですが、何とか生きて来れたと言うことが運の良さを証明しているとも思える。どちらにせよ自分では分からないと言うのが事実。人生ってこんな物なのかも知れない。今はそう感じる、人生って分からないもので、生きているだけで丸儲けって言うのが答えに近い様に思える。これを基本に考えを整理し、頭を切り替えることが本来の感性を導き出す方法なのかも・・・って言うことなのだろう。だからテニスであれ、格安別荘であれ、移住であれ、仕事もそうだが、出来ていることが 丸儲け なのだろう。何にせよするためには目的がある方が良い。とくに、私のような怠惰な人間は目的無しには何もせずに、ダラダラ生き、もしかしたら廃人のような、浮浪者の様な生活を送っても、納得しているタイプに感じている。どの道を選んでも、丸儲けなのかも知れないが、私が浮浪者になったら息子に迷惑を掛けてしまう気がするので、テニスに打ち込んでいる方が良いだろうと感じる。仕事は打ち込んでも得るものが少なすぎる気がしている。勿論それは私の能力不足に起因しているのですが、この20年の結果が証明していると思えるのです。でも後1年この仕事を今のペースで続けられれば、借金の返済に目処がたつので、最低限そこまではしたいし、3年続けられれば、借金の収支がプラスに転じる。もしここまで維持できれば最高だろう。大切なことは、大切なものを維持、継続することの様に思える。一瞬にして良い変化をもたらす様な、夢の様なことが起きないことは 充分に経験済みだ。大切なものを維持・継続する毎日がベストを生み出すのだろう。年齢を重ねた感性なのかもしれないが、今の私にはそれが正しい様に思える。今までの金に束縛された経済奴隷の生活から抜け出そうとしている。奴隷の束縛が解き放されようとしている。そんな中での新しい感性が生まれようとしていると理解するべきなのだろう。経済奴隷の生活から見れば、これからの生活は憧れの非日常だったのだ。しかし、非日常に入ろうとしても、それが日常になれば、その中で 生きているだけで丸儲け のある意「虚無」が新しく芽生えているのだろう。今は経済奴隷の生活から抜けだそうとしている。抜け出した時の引き続きの虚無のなかで生き方を模索しているのだろう。そこで、私の様な怠惰な人間は 目標を造らなければ 廃人に成りかねない人間には、新しい目標がある方が良いのだと思える。それは、人生何もない「虚無」のなかで泳いでいる様なものと言うのが事実なのだと思えるからです。

虚無の中に造られた 仕組み

社会の仕組みって言うのは、先人達が虚無の中に造ってきた仕組みだったのだ。良い意味は沢山あるが、悪い意味では束縛され、高コストな生活を強いられている。高コストで便利な生活を人間が望んでいたのだろうか?私にはそうは思えない。いつの時代からか支配者層と従属的奴隷層に分かれ、支配層が従属層をコントロールする為に「便利、快適な生活を」を餌として与えていたという仮説が成り立つ気がする。この「便利・快適」が金で買える社会を作っているから、その結果高コスト生活が強いられてしまっているのではないだろうか?それにしても、虚無の中から、今の金を中心とした社会仕組みを作りあげたことは人類の大きな功績だろう。「便利・快適」から「幸福感」に目的をスイッチするべきだと思えるのですが、そう感じているのは私だけなのでしょうか? 目的を「幸福感」にスイッチすると、今の中心的存在の「金」のパワーが薄らぐ。すると、社会の仕組みも変化が要求されるのだろう。

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2月も何かと忙しく感じますね!

火災保険の見直しは 早めに!

戸建ての場合、構造によって火災保険料が大きく変わってしまう様です。耐火構造であれば、大幅に掛金下がります。満期が近いので、やっと重い腰を上げて切替作業に入ったところ、手続きはインターネットで簡単にできるのですが、提出資料で問題がありました。「建物の耐火構造証明」です。建築時に貰っているそうなのですが、そんなものどこにあるかわかりません。保険会社もよくできたもので、ハウスメーカーから証明書を発行してもらえば、それで問題ないとのことです。手続きは簡単ですが、時間が掛かるのです。電話で問い合わせたところ 2週間程度掛かるとのことです。2週間待つと、保険の更新に間に合いません。とにかく、作業は進めますが、火災保険の見直しは早めにすることが大切なようです。

確定申告

確定申告に加え、会社の決算。年末から年始はこれで悩まされる。今年から確定申告を家内の分と二人分だ。合計同じ様な時期に3つの申告をして、税金を払わなければいけない。いくつもの作業をした上で、お金を支払うのだから、国の合法的なミカジメ料だと感じている。今年は消費税がいくら必要なのか、ドキドキだ。法人税は、繰り越し損があるから、それほどの金額にはならないはずだ。税理士からの連絡を待っている。そして個人の確定申告。今年は二人分とも下書きは完成しているから気が楽だ。会社も法人扱いで運営してきたが、そろそろ個人事業に切り替える時期あと思っている。繰り損を消化して、会社の借入金返済がなくなれば、変更時期だと考えている。そうすることで、税理士報酬が年間20万円ほど軽減される。一つづつ固定費を減らすことが大切だ。仕事は収益より時間的な自由を優先することを考えているから、規模に応じて、固定費となっている経費を下げることでしょう。どんどん、小さくなっていくことに、寂しさも感じている。この寂しさが現実なのだ。これも1つの終活の始まりなのだろう。そう感じると寂しくなってしまうけれど、まぎれもなくそれが現実なんだと言われているようなものだ。今年で66歳になるのだから当たり前だと、言い聞かせなければいけないのも事実だ。

シングル練習会

練習会に参加したい人が、ポツポツ増えてきて、コートを取るのも仕事になってきた。一週間に3日~4日練習会を開催している。メンバーは代わるが、概ね10人程度は居る。コートが抽選で始まるのでコートをキープすることが大変になっている。でも目標があるから苦にもならない。バカな人間だとつくづく感じている。バカになる方が幸せなことも少なくないですよね。テニスに関して言うと、バカになればなるほど幸せになれる気がしてます。

 

何か目標を造って、自分を追い込まないと、怠惰な人間は崩壊する。

正しく、私はその代表格の人間だ。今は生きる為の金を稼がなければいけないと言う奴隷の立場から解放された幸せを感じているのだと思う。その環境で目標をもっていられることの幸福感を享受しているのだろう。自分で成し得たことでもなく、年齢で成れた環境なのだから、人生終盤のご褒美でしかないとは分かっているのですが・・・・。これからも、幸せに生きる為に工夫が必要なのだと感じている。

宗教でもなく、哲学でもないのですが、人間とは?

そう考えたくなる人間って少なくないと思いますよね。年を重ねると、いや、残されている時間が少なくなってくるとかもしれないですが、増えてくる気がします。私はそんな一人です。でも、何も分かりません。というか、何も無いのかもしれないです。それでも考えたくなるときがあるのです。クセですよね。

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週始めの月曜 思ったより寒い朝

新しいステージの入り口

土日タップリテニスをした。ボロボロにされた試合を2試合もした。ショックはあるのですが、新しいステージの入り口にたった気がして新鮮でもあるのです。それと、登ってきた実感も始めて持てたのです。漸く自分のテニスを取り戻し始めた喜びと、これからを考えると楽しみでもある入り口に入れたのです。今が始めと考えて組み立てが必要になってきました。仕事も家庭環境を大きく変わろうとしています。まず今年一年は様子を見ながら、体と感性を馴染ませる必要があると思ってます。幸せな環境を造れる様に様子を見ます。日々は今までと同じ様にコツコツですね。今日は、午前中仕事して、昼飯を食べたら、帰宅し、確定申告の整理。いろいろ、あるもんです。今週はテニスが少なく、水、土日の3日。来週、再来週は多い。15日と16日は兵庫オープンに参加。テニスが中心の一週間になります。それくらいはテニスをしていないと、上達は無いでしょう。

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テニス三昧

また一人シングルメンバーが増えた

一人減り、一人増え と言うと人数に変化はないはずなのだが、人数は増えている。既に10人は越えているが、何人いるのだろう。今日は9時からシングル練習。そして、後、クラブコートで2試合体操代わりにこなした。良い運動だ。その後自転車で池田の事務所まで約10kmサイクリング。今日の仕事の半分以上はこのメニューを消化することで終えている。事務所で仕事を少ししたものの、多くの時間は休息の仮眠。そして今帰り道で川西能勢口でのコーヒー。贅沢な生活だ。明日は、朝から事務所で昼からはシングルテニス。帰りにはマクドでコーヒーをしている可能性が高い。週に4回のテニスが実現しそうだ。何と幸せな生き方なのだろうか?これで金があれば申し分ないのだが、貧乏は変わらない。何度も繰り返しているが、貧乏だから仕事もしている。私の様な怠け者はしなくてもよければ、仕事などしない。恐らくそうなるとさらに怠惰になり幸せを感じることはできないだろう。いつか自由にと言う希望があり、希望を求めて動いているときが幸せなのかもしれない。これは本来錯覚の思想だと思っているが、私はそこから脱却できない低俗な人間なのだ。幸せ、自由、昔から言われ続けている言葉だが、低俗な人間んは、そんな高貴なものを得た事がない人間には、言葉遊びに過ぎないのかもしれない。私のこれからの課題のワードになるだろう。もともと課題であり、いまだ解けていないワードなのだけれど、今まで遠い遠い存在で夢見て、たまに真似事の自由を得て満足していた。まだまだ遠い存在なのだが、少し近づいた。そうすると答えも近づくのかと思いきや、相変わらず答えは通すぎて分からない。昼間の時間が自由時間を増やした分、夜に仕事をする時間は増えてる。今日は帰ってから家内の確定申告を進める。会社の決算。私の確定申告はほぼできた。次に家内の確定申告である。まず、これをこなしてから2021年からは会計ソフトを使って、青色申告でも65万円の控除を受けられる様にソフトの勉強を始める。私も近い将来個人事業に改変する予定なので二人分で130万円の所得控除を受けられるのだから、新たに勉強する価値がある。こんな細かなことは、気づくのだが、本来課題の自由な生き方 には切り口すら見つかってない。毎日この様な生活を送って「自由な生き方」の入り口を見つけることができるのだろうか?可能性が高いか低いかの問題ではなく、いつか気づくことがあればと思って生きていくことだと思う。人間って、いや私はそこまでレベルの低い人間なのだ。私には難解過ぎると理解できただけでも一歩進歩なのだろう。

自由な生活?

本来自由な生活ができる環境に近づいているのだが、テニスに目標を自分で決め、それに向かっていることに少しの満足を感じている。これって結局は自由を奪っているとも言える。自由になれないのだ。レベルの低い人間なんだろう。自分を追い込んで、自分を動かして、そんな生活は自由とはかけ離れていると思うが、それしか充実した気持ちを得られない。目標をなくせば自由になれるのか?そうかもしれないが、充足感が得られない。奴隷生活からは抜けられない。奴隷生活しかしらない人間は高級な生き方を夢には見れるが、できないのだろう。そう考えると、平安時代の貴族は幸せだったのだろうか?生まれたときから、何もしなくても生きていける身分というのは、もしかしたらとてつもない苦悩だったのかもしれない。年金生活と言うんは晩年に、奴隷生活者に送られた、制度上の夢だったのかもしれない。夢は遠くで眺めているときが幸せで、その中に入ると空虚なものだと言うことで、奴隷に送られていた夢のメッセージなのかもしれない。歪んだ考えかもしれないが、そんな一面はある。南国で自然に育つ木の実を食べて生活できる環境が、この世の天国だとゴッホやゴーギャンは感じていたのかもしれない。しかし、彼らも絵を描くと言う世界では自分を追い込んでいたのではないだろうか?そんな世界で瞑想にふけって、後世に名を残すこともせず生きていた人が一番自由人だったのかもしれない。そんな人間が南国にはいるのかもしれない。それに比べ雪国の食べ物など存在しない環境で生きている人々は、常に追い込まれている。環境からくる大きなさだと思う。日本など四季のある地域に住んでいる人間には、もしかしたら、両面を理解できる創造力が身に着くかもしれないが、南国、北国ともに極端な環境で生まれ育つと違う感性しか身に着かないんかもしれない。人間の幸せとは、何なのか、また疑問で終わってしまう。

 

頭の切り替えができない私

切り替えと言うと聞こえが良いが、実際は、何をすれば良いか分からないので、中途半端ではるが、今までの延長半分とテニスを半分、これが私の拘束された時間と考えるのが、私の能力では精一杯だ。これらの拘束時間でも余っている時間は十分にあるし、時間調整も可なり効く。そんな時間が私には程好い自由時間なのだ。どう考えても正解からは遠い回答なのだが、私には、今の私には、ここまでだ。創造力や発想力が乏しいのだろう。自由な生活が楽しめない。拘束時間を自ら造って、合間の自由時間にカフェの窓際で景色を眺める。それが私の寛ぎであり、幸せなのだ。貧相な人間だと思う。貧相や貧乏の変え方はあるのだろうか?急激な変化であれば、それは不幸になってしまう気がする。穏やかな変化で幸せ感を膨らます方が重要だと思うが、恐らくその方法では時間切れになる気がする。自由な生活を探すなら、南国の地へ行き、自由人を見つけ、その人の考え方を知ることが近道かもしれない。でもこの考えでは自由人は南国にしかいないことになる。北国の人は不幸なのか?そんなバカな仮説になってしまう。自由な生活を夢見て、それが人間本来の生き方だと仮定して現実を見ると、不合理で埋め尽くされている。しかし、自由な生活の仮定が正しいのか?そんな疑問が沸いてくる。私のレベルで幸せ度を上げるには、拘束と自由のバランスが大切だろう。拘束と言っても、目標を持った拘束だ。例えば、私は貧乏だから、自分の遊ぶ金を稼がなければいけない。またテニスであれば ジョップ大会でのポイントを稼ぎ、ランキングを100位以内にすることだ。そのために何をしなければいけないか、この具体策が私を拘束することになる。

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家族旅行を終えて

色々あったが・・・・

一番寛ぐのが 家族旅行かもしれない。色々あり、こんな旅行が楽しめる様になるとは思えなかった時期もあった。乗り越えたのではなく、過ぎ去った感覚だ。息子が今年社会人になれる、嬉しいのだが、こんな家族旅行はタイミングが合いにくい。自然と数が少なくなっていくだろう。そう思うと寂しさはある。車での旅行だったが、私はまったく運転もしていない。そしてホテルの温泉で、息子とサウナ三昧。こんな幸福感はそう味わえるものではない。こんな歳になると、どんどん付き合う範囲が狭まって来る。話し合える人間が減っている。そんな中で家族の大切さを感じているのだろうか?

便利だが、コストの高い生活は疲れる

ブログの記事で読んだのだが、生活コストの高い便利な環境で生まれ育って生活している。この事が疲れる大きな原因なのだと。単純な理屈なのだが、大きな気づきを与えてもらった気がしている。最低限の生活と言うのが、結構コストの掛かる生活であり、維持するだけで疲れている自分が分かった気がしてきている。金持ちが楽しそうに感じるのは、生活コストが気にならないことが一因なのだろう。私は貧乏だが、年金で最低限の生活ができるということがどれ程大きなゆとりを与えてくれているのか?と考えると、計り知れない。今私にゆとりがあるのは、ただその一点だ。ブログで読んだ記事は、山のなかに小さな土地を買って、小屋を建て、一ヶ月2万円でちゃんと生活シテイル人だ。一ヶ月バイトをすれば一年暮らせるそうだ。私の憧れの生活かもしれないが、そんな生活は結構労働も多く、私の年齢から始めるのは無理があるだろう。しかし、真似後とをしてみたい気持ちはある。私は真似事をする程度の器しか持ってないとも言える。今は年金で最低限の生活をして、働いた金は全て自由に使える環境に近づいている。小遣いなしで生きていたのが15年間ほどあった。そのときの重い気持ちは抜けない。まだ借金が沢山あるから自由な金は借金返済に充てる。これで借金返済が終わってしまうと、私の自由が、本当の自由が始まる。課題h本当に自由を手に入れたとき、自由になれるか?と言う疑問がある。自由を生きれるだけの能力が備わってないのだ。悲しいけれど、金の奴隷生活が長過ぎたのだろう。幸いまだ、小さいながら仕事をしていられるから、能力がなくても、何かしらの刺激と小さな夢を見れる。夢と言っても本当の自由を得た夢ではない。奴隷生活の中で見た夢の具現化程度だ。自分でも思うのだが、ここまで飼育された家畜だったのかと今ごろになって気づき始めているのだ。言い換えれば、夢すら、本当の自由の中では夢しか見れないとも言える。恐らく、退職後に楽しんでいる自由とは、ハイコスト生活を強いられていたときの、ハイコスト生活から逃れることができなかったときに見た、夢を具現化しているのだろう。そうでない人も居るのだろうが、そんな素晴らしい人は、どれ程居るのだろうか?私はそんな人に会っても気づくことすらできていないのかもしれない。それは禅僧が見ている悟りに近いのだろうか?しかし、それは自分を追い込んで、追い込んで、生死の壁を越えてまで追い込んで気づく様な過酷なものの様に感じている。結論は似たところがあるのかも知れないが、私が感じているっものとは異質なものであり、私はもっともっと、比べ物にならない甘いものだと思っている。とは言いながら、私なりに何かを求めたい。今の私が低コスト生活をすれば、自由が手に入り、自由生活の味を見せかけかもしれないが、味わえるだろう。そんな事をしている間に、残された時間が無くなることもあるだろう。

川西能勢口のドトールコーヒー

いつもの珈琲店だ。いつもの様にブログで気持ちの整理をしている。役に建っていると感じているが、同じ場所をグルグル回っているとも感じている。隠れ家として有効な事務所を持っているのだから何かを見つけられる環境には近づいている。隠れ家にベッドを造って、冷蔵庫を置けば、より隠れ家らしくなる。自立できる環境が整ってくる。だから・・・・と考えると前に進まないから。情けないのは、結局、本当の探し物を見つけることができず時間が過ぎ、すなわち残された時間が無くなることだ。人生とはそんなものとも言える。

2020年の決算データ集計を終えて

  • 昨年は思いの外、悪くないと思っていたが、結局はトントンだった様だ。私のやり方では、利益は望めないのだろう。2021年は給料を減らすことも考えた方が良いのかもしれない。しかし、個人的な借金がまだまだある私は大幅には減らせられない。年間300万の給料にするのが良いのか、現状のままで、経費扱いしている雑費を個人の出費に形状するのが良いのかだと思うが、税金上はそれほど変わらない。雑費とは、ガソリン代、インターネット代、諸々の高速代、携帯代などで年間にすると30万円程度になるだろうから、これらを消せば、会社としての利益が増える。車も買い換えてと思っていたが、借金返済を考えると、のれるだけ乗る方が良いことになる。自由が見えた気がしているがまだ遠い。幻を見ているのだろう。現実は借金を背負った経済奴隷から抜けられない惨めな高齢者。とは言いながら、隠れ家での楽しみを見つけることも大切なことだ。それが読書であっても、youtube鑑賞であっても、音楽鑑賞であっても良いのだ。また料理も候補に挙がる。これらの延長に仕事ができれば一番楽しいのだろう。私は独りを楽しむのが好きだし、逆に独りで生きてきた人間だ。社会、群衆の中で頭角を表せるタイプではない。会計ソフト上では約400万円の利益が上がっているが、内訳は営業利益ちしては200万円上がっている計算になるが本当か?どこかで間違いがあるかもしれない。今税理士の先生に集計をしてもらっている。私の思惑では100万円の利益g上がっていて欲しいし、予想はそれくらいあって良い。
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株式投資も考え始めよう

経済の発展は色々言われているが、基本的な流れを作っているのは人工増加だろう。それも支出の割合が多いのは若い層。20台から40台だろう。その年齢層が増え続ける国が日本でないことは確かだ。増えるのはフィリピンと言われている。経済成長基本が整っている国は、投資が安全な上に可能性を秘めている。そう考えるので、フィリピン株のファンドに毎月投資することにする。個別株は少額でこれから試してみるが、投資額の大半はフィリピン株ファンドにする。年間で10%の予想だ。10年保有すれば2.5倍になる。何事も基本の上に理論が成り立ち、流れを上手く掴んだ企業が成長する。人間も同じ様に思える。言い換えれば、個体としてはそれほどの差はないと言うことだ。こんな、当たり前のことに何故今まで気づかなかったのだろう?焦りが精神を可笑しくしていたのだろうか?そう考えると、人間って、私はかもしれないが、とことんバカなのだと落ち込んでしまう。

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また一人友人を失った

テニスクラブの友人だったのだが

亡くなった訳ではない。友人関係が崩壊したのだ。他人の行動、言動を悪く言い、自分は清く正しい人間だと主張したいのだろうが、そうすることで反感を抱かせ攻撃を受けると、今度は横柄な態度。幾つになっても我儘な子供と同じ。何故自分をそこまで優位に保ちたいのか?まあ私も同類なのだから仕方がないとは思えるところがあるが・・・。しかし、友を無くすことは寂しいものですね。でも、仕方がないこと。新しい友探しが大切なのでしょう。テニスに関して私の変化を素直に認められる人が余りに少ない。それも原因の1つでもあります。目先の寂しさより、先の世界を大切にすることだと考えてます。

 

定年退職者の多くは

サラリーマン時代の待遇の良さが仇になっているのだろう。厚待遇は組織の中での長年のご褒美だと認識していれば、退職後はフラットになれるだろうが、勘違いのまま生きている人が多い。私も自分に都合の良いところだけは変化を嫌っているのかもしれない。この様なゴタゴタした面倒くさいことを考えるくらいなら、一度ご破算にする方がスッキリする。