家族旅行を終えて




ロハスショップ

色々あったが・・・・

一番寛ぐのが 家族旅行かもしれない。色々あり、こんな旅行が楽しめる様になるとは思えなかった時期もあった。乗り越えたのではなく、過ぎ去った感覚だ。息子が今年社会人になれる、嬉しいのだが、こんな家族旅行はタイミングが合いにくい。自然と数が少なくなっていくだろう。そう思うと寂しさはある。車での旅行だったが、私はまったく運転もしていない。そしてホテルの温泉で、息子とサウナ三昧。こんな幸福感はそう味わえるものではない。こんな歳になると、どんどん付き合う範囲が狭まって来る。話し合える人間が減っている。そんな中で家族の大切さを感じているのだろうか?

便利だが、コストの高い生活は疲れる

ブログの記事で読んだのだが、生活コストの高い便利な環境で生まれ育って生活している。この事が疲れる大きな原因なのだと。単純な理屈なのだが、大きな気づきを与えてもらった気がしている。最低限の生活と言うのが、結構コストの掛かる生活であり、維持するだけで疲れている自分が分かった気がしてきている。金持ちが楽しそうに感じるのは、生活コストが気にならないことが一因なのだろう。私は貧乏だが、年金で最低限の生活ができるということがどれ程大きなゆとりを与えてくれているのか?と考えると、計り知れない。今私にゆとりがあるのは、ただその一点だ。ブログで読んだ記事は、山のなかに小さな土地を買って、小屋を建て、一ヶ月2万円でちゃんと生活シテイル人だ。一ヶ月バイトをすれば一年暮らせるそうだ。私の憧れの生活かもしれないが、そんな生活は結構労働も多く、私の年齢から始めるのは無理があるだろう。しかし、真似後とをしてみたい気持ちはある。私は真似事をする程度の器しか持ってないとも言える。今は年金で最低限の生活をして、働いた金は全て自由に使える環境に近づいている。小遣いなしで生きていたのが15年間ほどあった。そのときの重い気持ちは抜けない。まだ借金が沢山あるから自由な金は借金返済に充てる。これで借金返済が終わってしまうと、私の自由が、本当の自由が始まる。課題h本当に自由を手に入れたとき、自由になれるか?と言う疑問がある。自由を生きれるだけの能力が備わってないのだ。悲しいけれど、金の奴隷生活が長過ぎたのだろう。幸いまだ、小さいながら仕事をしていられるから、能力がなくても、何かしらの刺激と小さな夢を見れる。夢と言っても本当の自由を得た夢ではない。奴隷生活の中で見た夢の具現化程度だ。自分でも思うのだが、ここまで飼育された家畜だったのかと今ごろになって気づき始めているのだ。言い換えれば、夢すら、本当の自由の中では夢しか見れないとも言える。恐らく、退職後に楽しんでいる自由とは、ハイコスト生活を強いられていたときの、ハイコスト生活から逃れることができなかったときに見た、夢を具現化しているのだろう。そうでない人も居るのだろうが、そんな素晴らしい人は、どれ程居るのだろうか?私はそんな人に会っても気づくことすらできていないのかもしれない。それは禅僧が見ている悟りに近いのだろうか?しかし、それは自分を追い込んで、追い込んで、生死の壁を越えてまで追い込んで気づく様な過酷なものの様に感じている。結論は似たところがあるのかも知れないが、私が感じているっものとは異質なものであり、私はもっともっと、比べ物にならない甘いものだと思っている。とは言いながら、私なりに何かを求めたい。今の私が低コスト生活をすれば、自由が手に入り、自由生活の味を見せかけかもしれないが、味わえるだろう。そんな事をしている間に、残された時間が無くなることもあるだろう。

川西能勢口のドトールコーヒー

いつもの珈琲店だ。いつもの様にブログで気持ちの整理をしている。役に建っていると感じているが、同じ場所をグルグル回っているとも感じている。隠れ家として有効な事務所を持っているのだから何かを見つけられる環境には近づいている。隠れ家にベッドを造って、冷蔵庫を置けば、より隠れ家らしくなる。自立できる環境が整ってくる。だから・・・・と考えると前に進まないから。情けないのは、結局、本当の探し物を見つけることができず時間が過ぎ、すなわち残された時間が無くなることだ。人生とはそんなものとも言える。

2020年の決算データ集計を終えて

  • 昨年は思いの外、悪くないと思っていたが、結局はトントンだった様だ。私のやり方では、利益は望めないのだろう。2021年は給料を減らすことも考えた方が良いのかもしれない。しかし、個人的な借金がまだまだある私は大幅には減らせられない。年間300万の給料にするのが良いのか、現状のままで、経費扱いしている雑費を個人の出費に形状するのが良いのかだと思うが、税金上はそれほど変わらない。雑費とは、ガソリン代、インターネット代、諸々の高速代、携帯代などで年間にすると30万円程度になるだろうから、これらを消せば、会社としての利益が増える。車も買い換えてと思っていたが、借金返済を考えると、のれるだけ乗る方が良いことになる。自由が見えた気がしているがまだ遠い。幻を見ているのだろう。現実は借金を背負った経済奴隷から抜けられない惨めな高齢者。とは言いながら、隠れ家での楽しみを見つけることも大切なことだ。それが読書であっても、youtube鑑賞であっても、音楽鑑賞であっても良いのだ。また料理も候補に挙がる。これらの延長に仕事ができれば一番楽しいのだろう。私は独りを楽しむのが好きだし、逆に独りで生きてきた人間だ。社会、群衆の中で頭角を表せるタイプではない。会計ソフト上では約400万円の利益が上がっているが、内訳は営業利益ちしては200万円上がっている計算になるが本当か?どこかで間違いがあるかもしれない。今税理士の先生に集計をしてもらっている。私の思惑では100万円の利益g上がっていて欲しいし、予想はそれくらいあって良い。
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株式投資も考え始めよう

経済の発展は色々言われているが、基本的な流れを作っているのは人工増加だろう。それも支出の割合が多いのは若い層。20台から40台だろう。その年齢層が増え続ける国が日本でないことは確かだ。増えるのはフィリピンと言われている。経済成長基本が整っている国は、投資が安全な上に可能性を秘めている。そう考えるので、フィリピン株のファンドに毎月投資することにする。個別株は少額でこれから試してみるが、投資額の大半はフィリピン株ファンドにする。年間で10%の予想だ。10年保有すれば2.5倍になる。何事も基本の上に理論が成り立ち、流れを上手く掴んだ企業が成長する。人間も同じ様に思える。言い換えれば、個体としてはそれほどの差はないと言うことだ。こんな、当たり前のことに何故今まで気づかなかったのだろう?焦りが精神を可笑しくしていたのだろうか?そう考えると、人間って、私はかもしれないが、とことんバカなのだと落ち込んでしまう。

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