2023年も終わろうとしている




ロハスショップ

クリスマスソングを耳にすることが多くなる季節

クリスマスソングが好きなわけではないし、クリスマスがイベントになっている訳でもない。でも、クリスマス気分を耳にしているのは好きなのだと思う。子供のときに感じてた期待感を思い出しているのかもしれない。一番幸せな時期だったのかもしれない。人生の終盤を生きている者に芽生えるのはそんな感情なのかもしれない。毎日テニスに明け暮れてる日々を送っていて幸せなのだが、何故かクリスマスソングも心に響いている。

 朝練を終えて、軽い昼を食べてから少しの昼寝。そこまではいつもどおり。今日は自転車屋に修理を持ち込んでいる。ネットで安く買った自転車だったが、今日も修理費が1万円超えるそうだ。結局メーカー品が良いと熟思う。次はどんな自転車を買おうか少し考えている。できれば後2年程度は今の自転車に乗りたい。理由はマンションの借金返済を最優先に考えているからだ。後1年で殆の目処が立ち返済可能になる予定。そこまで持ち込めれば私の生活にも余裕ができる。次の自転車はそれからにしたい。普段乗りと車に積める自転車両方に興味があるのだが、一台で兼ねるとなるとどっちつかずになる様に思える。通常乗りなら今では一回の充電で100km以上走れる物がる。また、車に積める軽いものなら、アシストなしなら数万円である。車に積む自転車が欲しい気持ちはあるけれど、実際に行動するのは年に何回あるのか?と考えると、アシストなしでも軽いものの方が良いかもしれない。軽い方が車への積み下ろしは楽だ。2頭負うものは一頭を得ず。かもしれない。アシストなしの折りたたみ自転車なら車に積みっぱなしで良い。それも使い勝手としても良いと思える。値段も4万円程度で良いものが売っている。ブリジストンのアシスト自転車なら15万円程度。比較するものとして トランスモバイリー折りたたみ20インチアシストは12万円程度。その差は8万円ある。貧乏性のわたしは、安い方に走りそうだ。トランスモバイリーは走行距離30km。毎日充電が必要だと思う。まだ考える時間が欲しい。となり 今はボロ自転車を修理して乗っているのが現状だ。曰くつきのネットで購入した自転車で大手自転車販売店では修理してくれないメーカーだが、修理してくれた。ホットしているところだが、13,200円もの修理費が掛かった。これで後2年でも乗れたらそれで良しとしたいところだけれど、さて結果は分からない。

明日は 昼前からテニス

明日もテニス終了後は、マックかどこかでコーヒーを飲みながらパソコンに向かっているかもしれない。でも自転車で行くとパソコンを持っていくのが重く嵩張る。着替えなど荷物を減らせば良いのだが。水筒が夏に比べると半分になり嵩も重さも少なくなっているのでパソコンも可能かもしれない。それも楽しみの一つだから、荷物を試してみよう。

今朝の練習会はジャパンに囲まれ4人

実力の差を味わせられた練習会だった。こんな経験は他ではできない。これからの一年どこまで頑張れるか!そんなスタートを味わえる練習会だった。jop100位が目標だった一年前。現状は270位。目標とは程遠い立ち位置だけれど、実力は上がっている。ここからの再スタートが大切だと気持ちの入れ替え、考え方も変えることが大切だ。もっと細かな考え方を実行できる様にしなければいけない。その前提としてコントロール力を上げなければいけない。もろもろ課題は豊富にあるけれど、ひとつづつ解決できれば幸せだ。ここまで気づけたのは朝練の環境の良さだと思う。ひとつひとつ体の動きの見直しも必要なのかもしれない。感覚でするものだけれど、色々な見方も必要だ。とにかく前向きにステップアップしたいものだ。良すぎる環境に挫けてはいけない。でも、ときどき挫けている自分も分かっている。どこまで出来るかを楽しみにして、毎日を楽しく過ごすことが大切なんだろう。

師走の風

冬の風が吹いている。こんな季節になったのかと思ってしまう。テニスで明け暮れたこの一年だった。来年も今のペースでテニスをしたいが・・・。考えても無駄なので、できる限り続けることにする。練習時間に合わせてじわじわと、少しづつ上達している。それが嬉しいから続けられるのかもしれない。目標をもって続けられることがあることが幸せだと思う。逆にできなくなるとと考えると不安を感じるけれど、仕方のないこと。

 この生活を続ける為には、できれば仕事も継続したほうが良い。仕事ができなくなっても、生活に問題がでる訳では無い。それだから仕事が疎かになりやがて消えると感じている。苦しさを乗り越えた幸せがある。苦しいときは考えることもできない感情なんだけれど。実際はそうだ。

 暗号資産がバブリ始めている。どこまで上がるのか、少し利食いして、下がったときに買いましする気でいるが中々上手くはいかない。少し前は、そのジレンマを悔しく思ったが、今はそれが当たり前に思えている。駄目でも損する訳ではなく、もし売らなければもっと儲かったのにという後悔を感じるだけで、そんな気持ちの繰り返しが投資の当たり前の姿だと思えて来たからだ。どこかで うねりの様な波を見つけられれば、現金を次の波に備えることができれば、それが投資の流れだと思えるのだ。うねりに上手く乗ったとしても利幅は1割〜2割。そんな程度で最高だということを理解しなければ、投資はできないのだろうと思えている。投資で稼げれば良いのだが、軍資金が少ない。今は少しあるけれどそれは借金返済の資金。でも少しの軍資金でも楽しむことができれば良い。まずはマンションの借金を完済することだから、それが出来てから考えれば良い話。

明日はクリスマステニス大会

明日もまた 一回戦で終わるのかと思うと気が重くなる。乗り越えなければいけない壁が立ちはだかっていると思い込んでいる。今年は私のテニスにとって辛い年になっている。乗り越えなければ来年も辛いことは変わりない。ジャパン選手が何人も居る中で練習していると気づくことは多い。ただ出来ない自分がモドカシイ。乗り越えられるかどうかは大きな分岐点になる。もしかしたら私の問題点の鍵は手首の使い方だったのかもしれない。細かなことだが、大きな問題だった様な気がしてならない。明日の試合にこの気付きが影響するとは思えないが、というより、気づいたからと言って改善できるわけではないから。明日は気にしながら出来ない自分を楽しむこと、新たな気づきに先の大きな望みを掛けて対戦することができれば良い。とは言え、橋にも棒にも掛からないほどの相手ではないから、少しのチャンスは見つけられるだろうと思っている。明日のドロー表を見ながら ランキングから考えて何とかできればと思っているが、良い試合ができれば良いのかもしれない。良い試合とは と考えると 単純に言えばミスの少ない試合だ。

 また勝てない試合をしてはいけない。負けることは仕方がないが、ミスの少ない、できれば中ロブで良いのだ、スピンを少し加えることができれば大きな武器になる。悩んでいても技術が身につく訳はないが、なにか気持ちが前向きに振れている気がする。

クリスマス大会が終わった

悪い予感どおり一回戦で敗退。相手の実力はまあまあ〜であった。一回戦敗退が多いのが悔しい。そんな中で試合内容は向上している。 と思えることあ慰めだ。

 朝練に新人が入会した

40歳代の女性だった。そこそこは上手いがまだまだと言う感じを受けていたが、試合をすると2−2から2−3で負けてしまった。残念過ぎる結果だ。私の実力はこの程度に低いものだと感心させられた。まだまだ修正箇所が多すぎるテニスをしている。安定性に大きく掛けるテニスなのだ。だからjop大会で一回戦敗退が多いのだ。悔しく情けないのが現実なのだが、克服しなければいけない点が多いのだから練習するしかない。この一年で大きく成長したはずだったのが、それ程でもないことが証明されているのだから、頑張るしかない。それ以外の選択肢はない。

それとは別の話だが、息子が帰省してきてゆっくり話ができた、取りとめない話だが元気そうで本当に良かった。元気が一番大切だからそれで嬉しい。良いことも沢山あるものだ。テニスが今努力の割に良い結果がないことが自分で情けないのだがそれが自分だから仕方がない。今までの努力では足りないということ。これを認識して効率良く練習を重ねるしかない。

 テニスはまだまだだと言うことを再認識することが大切だと思っている。一歩一歩だから、焦る気持ちで一杯なんだが、そうは行かない駄目な自分をもっと知るべきだ。また来週から朝練をがんばろう。そしてjopで結果を残さなかればいけない。それが私の目標なのだから。

久しぶりに自転車で事務所に行った

どれほどの必要があるのか分からない事務所。今月行ったのは2回目。自転車で行き、帰りに以前良く伺ったドトールコーヒーでコーヒーとクッキーを頂いて休憩している。事務所をなくしても採算上は問題ない程度なんだけれど、行き場を無くすことに少し抵抗がある。昔から心の逃避行として楽しんでいた格安リゾートも1年後には現実可能になる可能性が出てきた。当初は私の住処とし考えていたのだが、何故かその逃避心は減ってきた。今は毎月1週間程度通える大浴場付き個室程度になって来ている。それでも、そこを仕事としても拠点にでき、いずれ仕事はフェードアウトすれば理想なのだ。なんにせよ金が必要だけど、マンションの借入金を完済できれば現実味を帯びてくる。こんな時期が来るとは、一昔前を思い浮かべると夢の様だ。毎日の様に充実したテニスをして、毎月試合に参戦して、それだけで幸せなのに、これに格安とは言えリゾート物件も手に入れば出来過ぎと言える。だからリゾート物件は無理でも納得できる。そんな思いもあるからか、必要性に疑問を感じている賃貸事務所も借り続けているのかもしれない。

 今コーヒーを頂いているお店も、何年も前から通い続けている店だが、今ほどゆとりをもって時間を楽しんでいることは無かった。現実逃避の逃げ場だったと思う。それが今では・・・。息子も会社努めを初めて3年が経過しようとしている。まだまだと感じるけれど、例え一人前と感じても環境の変化は何が起こるか分からない。でも何とか前に進んでくれていることは私を幸せにしてくれている。

私の人生は失敗の連続で、敗者だけれど、それを自覚して前を向いて生きていれば良いこともあるのだと言うことなのかもしれない。

自転車に乗ることが少なくなってくると、川西能勢口に来ることも減った。でも、自転車でこの駅周辺に来ることは楽しいものだ。思い出があるからかもしれない。

借金を早く返すために、宝くじでも買おうかと言う気になっている自分が面白い。一番苦しいときにはそんなこと思いもしなかった。気持ちに余裕ができるとそんなことを思うのかもしれない。

温かい部屋で、こんな時間を過ごしていることが楽しいと感じている。もし、格安リゾート物件を手に入れることができたら、その地ではこんな時間の使い方が中心になるのかと思う。仕事をどうすれば良いのかを考えることなどできない。今でも何かを見つけられれば、もっともっと早く借金を完済出来ている。リゾート物件に既に住んでいるかもしれない。しかい、そんな能力も無ければ、努力もできていないから、今の現状なのだろう。でもサラリーマンをやり遂げた人々と比べると、違いははっきりある。それだけが私のプライドなのかもしれない。

涙が出る思い出の瞬間

時間つぶしにニトリに行ったとき、タオルハンカチを買った。大した金額ではない。しかし、100均以外で買ったのは何年振りだろうか?恐らく10年以上経っていると思う。兎に角金がなく少しでも安いものバカリ買っていた。それが何の気なしに買っていた。少しは余裕ができたのだろう・・こんな生活を20年以上してきたから今の生活が幸せに感じているのだろう。私にとってこの20年は何だったのか分からない。幸せを感じるための基礎づくりだったと言えるし、世の中の基本を体で覚える時期だったとも言える。一番充実した自分探しの時間だった。結局は何も無かったのだが、それが分かったことが一番の教えだと思っている。テニスの目標があるから毎日充実している。もし無かったらと考えると、何をしているのだろう?

 取り敢えず70歳まではこのペースで続ける予定。結果はどうあれ、一つのポイントだと考えている。その後も続けたい。他に熱中できるものが見つかれば考えも変わるだろうが、見つからない可能性も高い。

  この20年が基礎なら、その前の25年は何だったのか? 未だに夢によく出てくるが、やはり不遇だった経験ではあるが、組織の知的水準が低すぎたにも関わらず、組織はある程度高い知的水準だと思いこんでいたことも不幸の始まりだ。1人では生きられないのだからその辺の認識が大切なのに私の認識が甘すぎた。その甘さを是正するためにこの20年があったのかもしれない。そう思う不思議な納得感がある。

 気持ちが整理できると不思議と次の動き方が入ってくる。そのために、このカフェとパソコンの時間があり、好きな時間なのかもしれない。気持ちに整理がつかないとトラブルも増えるのかもしれない。小さなトランブルを受け入れる自分がなく、それに対処する冷静さがないのだろう。人が集まれば波ができるのが当たり前。波の乗っているときが自分本来だと勘違いしていると不幸が現れる。並みに沈んでいるときも本来の自分なのだと感じられればトラブルを軽くできるのかもしれない。

墓場まで持っていきたい秘密

そんな物がある人は不幸だと思っていた時代もあった。誰にも言いたくないときが幾つかあるから それも重石になっている。こんな当たり前のこと今まで気づかなかったぼが不思議だが 分かってなかった。それが私なのだ。

12月28日 今年も終わる・・・

あっと言う間の1年だった。テニスに明け暮れた年だった。来年も今年の様に出来れば幸せである。あと一歩2歩テニスの格を上げることができれば幸せを感じることができるだろう。今でも幸せなのだから、もっと幸せ感を掴めるのだと思う。幸せ過ぎるのも不安を感じることになるだろう。それとも勘違い野郎になってしまうかもしれない。勘違いし易い人間だから気をつけなければいけないのだが、勘違いで生きるのも短時間なら許してやろうかとも思っている。カフェでパソコンに向かって回想しているのも幸せな時間だ。昔から好きな時間だ。少し前は生活ができるのか?生活が続けられるのか?という脅迫感が背中の後ろに引っ付き虫のように付いていて、同じ時間の過ごし方でも逃避の時間だった様に思える。現実逃避して安らぎを感じていたとしても、それも大切な時間だ。そんな時代を過ごしていたが、今は生活の不安が少なく、テニスのことを考えながら体力を消費した体の充実感も感じながら、パソコンに向かっているのは、これもまた幸せなことだ。友達のいない私だけに、どこに居てもこんな時間の過ごし方はできると思うと、格安リゾート物件を購入できる状況になり、もしも購入できたとしても1人でも楽しめる場所になるかもしれないと思える。格安リゾートはもう15年も前からインターネットで探していた。当時は逃避の旅のようにそれを楽しんでいた。私は1人そこで住むことを考えていた。そこなら私でもひっそりとした生活を送っていれば、私の収入でも何とか生活ができるという、明らかな逃避妄想であった。分かったいてもそんな時間が本当に楽しかった。でも今は少し変わって来た。悪い方向に動いたときは、そんなことも有るとは考えているが、恐らく真のリゾート遊びになると思っている。毎月1週間程度の遊び旅になれば良いのだ。

 そう考えると、場所は白浜などが良いのだが、その地方の格安物件は築50年ものマンションになる。不動産価格そのものが大損することは覚悟の上なんだけれど、毎月の管理費や修繕積立金が最悪の場合住めない、住みにくい状態にまで老朽化しても支払い続けることは耐えられないし、そんな状態で転売することは無理だろうと思えるから。10年後に、購入価格の半額であっても売れればそれで良いとは考えているが、それは誰にも分からない問題なのだろうか? ユーチューブにも老朽化マンションの問題を訴えている専門家らしき人が居るから、そんな方へメールで相談することも何かの参考になるかもしれないから、一つの資料集めとしての手段にはなるかもと思っている。

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