今週は3回のシングル練習




ロハスショップ

クラブに馴染んだかな?

ジョップ試合に出て、勝ちだしたことが影響しているのか?シングル練習が長続きしていることや、参加希望者が多くなってきていることが原因なのか、クラブ内で一目置かれている感じがしている。漸くだ。私の実力を上げることが大切だ。ジャパンの道が夢に消えるか?近づくかは全て自分に掛かっている。こんな事を考えて生きているなんて、少し前の極貧生活からは想像もつかない。なんと幸せな人間なんだろう。何年か前は自分で使える金など殆どなく、テニスクラブに入るなんて夢だった。そんな人間が、ジョップ大会に毎月出場して、その話が出来る相手が何人もクラブの中に居るなんて、こんな生活夢にも見れなかった。多少はまだ無理しているが、そんな生活が出来ているのだから「幸せ」と言う以外に言える言葉がない。

こんな幸せ者で良いの?

今週もシングル練習が、水、土、日とあり、次週の月曜日からはジョップ大会に参加。テニス三昧の週になりそうだ。今は、月曜日の朝。いつものマックでコーヒーで一息中。週末に細かな注文ではあるが、いくつもの受注を受けて、そこそこの受注業務がある。幸せなことだ。こんな調子で後3年続いてくれれば幸せの絶頂になるかもしれない。頭から離れないことの1つに、子供が小さいとき、公園の帰り道で自販機のジュースが欲しいと言ったとき、ジュース代に困るほど貧困であった思いでだ。あの辛さは忘れたいが忘れられない。そんな思いでを持っている人間がテニス三昧の日々を遅れるとは夢にも思ってなかった。それだけでも幸せなのに、仕事も細々だけで続けられるなんて幸せ者だ。苦しい、人に言えない来るしさを知ることも大きな財産なのかもしれない。でも人に進められるものではない。できれば、そんな思いを味わうことなく一生を終える方を進める。何故か?それは簡単。一歩間違えればどん底にまで落ち這い上がれないことを知っているから。どこまで落ちても希望を持ち続けなければ、改善されることはない。しかし、希望、夢を持ち続けて、地獄の底まで落ちても何の不思議もない。落ちれば落ちる程、思考も変わってくる、勿論悪い方へ悪い方へ変化していくのだが、それを正当化してしまうのが現実なのだ。そんな思いをさせたくないのが本心だ。毎日、こんな思いを綴りながら生きているのは幸せなのだが、少しづつ慣れてくると、幸せ感は薄れる。人間って、程度の低いものだ。

色々な責任から解放される

私の場合は、金銭面からの解放なんだが、精神的にも、息子が社会人になることは大きい。私のような人間。自販機のジュースを火ってあげる金にも困っていた人間の息子が社会人になると言うのは、責務からの解放感で一杯になってしまう。責務と言っても責任をおってと言うより、言葉が分からないが、自分よりも大切なものへの感情なのだろう。そんな解放感のなかで、幸せを感じているのだが、慣れてくるとどうなるのかと・・・最近思うときがある。自分に何もなく生きてきた人間だったことが、始めて分かってきた様に思える。この日記を書いているのは少し前までは、苦しさや金銭的な重圧感から気持ちだけでも逃れる為だった様に思えているが、今は、何もない自分の虚無感を薄らげるために変わって行く様にも思える。年を重ねるとはそういう物なのかもしれない。まだ、私はテニスとビジネスがあるだけ幸せものだと思うが、それらが無くなるときは必ずくる。そのときの虚無感を想像することも、今の私には想像もできない。

老後の生活

私に老後はなく、目的をもって生きると考えている。今も何も変わってない。ただ、目的を持つことの難しさが少し分かって来たのかもしれない。今までそのような生活をしたことがないからだろう。この20年は貧困で生活苦の時間だった。その中で子育て、教育費の捻出は大きすぎる負担だったんで、目的になっていたのだろう。そこから解放されたのだからとてつもない自由が目の前にあるのに、その生活ができる状態なのに、テニスとビジネス以外にはまだ何も見つけられていない。その2つをもっと深堀することも良いだろう。どこかで自然に囲まれて生活をする期間が毎月一週間ほどあるにも憧れる。少し前までは生活苦の逃避の為に、それを憧れにしていて、インターネットで沢山調べた。その知識から考えると、私の金でできることは殆どない。ソロキャンプに毛を生やした程度のことしかできない。それなのに、今までの逃避の延長のように色々調べても、現実とはかけ離れる。どこかで割りきらなければ次に進まない。どの様に割りきるかを考えなければいけない。単なる現実逃避と割りきり、何も行動に移さないことも1つの方法だ。たいそうに書いているが、インターネットで調べた老後の趣味のベスト20に私の趣味と重なることが3つもある。サイクリング、ブログ、旅行(自然のなかでの生活)なのです。私も普通に老化した発想だと言うことなのでしょう。人口がそれほどいないだけで、私のメインの趣味、テニスもジョップ大会に行くと、バカと言うのが一番似合っているテニス好きが大勢いる。そして日本中を試合で駆け回っている。その経費たるや年間100万円にも上っているひとが珍しくない。私もそうなりたいと願っている。その為には今から3年間で1000万円稼ぎ、その次のステージに入れなければ出来ないことなのです。自営業だからまだ可能性は残っているので、これが今の目的になるのでしょう。と考えると、自然の中での生活は最後に考えることになる。また出来たとしてもそのときの私の年齢は70才もしくはそれ以上になってしまう。そんな年でできることなのか?という現実的な疑問にぶち当たる。憧れを見ているだけなら何でもできるけれど、現実の狭い世界での選択肢はそれほどない。でもそれに近づける方法は何かを考えると、格安別荘ではなく、車中泊できる車になる様に思える。それは、普通に言うとソロキャンプに近いものだ。キャンプをしたことも無い人間が、世間から見るとそんな高齢者ができる趣味なのか?疑問にも感じる。この方向で調べて、何もしないことも1つの選択肢と考え、下調べすることが現実的なのだろう。この課題(自然の中での生活)を考えると、急に夢が萎んだ気がする。その原因は経済力だから、仕方ないとも言えるし、稼げば良いとも考えられる。稼げれば、トレーラーハウスを購入して、格安別荘地で生活することは可能だろう。そうすれば、場所を移動することも可能なので、いずれ息子がもっていても無駄にはならないだろう。金銭的に言えば無駄かねを使うことには間違いないが楽しければ良いのだからそれで良い。トレーラーハウスとしても中古購入以外は考えられない。私は根本的に人嫌いなのかも知れない。

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