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テニスクラブ 終わった

テニスクラブの桜

テニスクラブ終わった。居場所が無くなった。

暗雲が立ち込めていたのは1年以上前から。ここまで執拗に虐めが来るとは思ってなかった。まだまだ立ち向かう力は残っているが、正直言って疲れを感じている。昨日が留目を指した感がある。テニスの友人から言われた一言で終わった。彼の発送に昨日の言葉はあり得ない。言ってくれと伝えられて言わされたのだろう。それもショックの要因なのだ。そんなに軽い人間だったのか?と失望した。でも私は大丈夫だと思っている。テニスクラブが終わっても、また孤独を楽しめば良いのだから。張本人は分かっているが、その回りの人間も共感しているのだから情けない、事実に関係なく妄想で何人かの意見として伝えたのだろう。私も退部するのが一番早い方法だ。私の回りに私の指示を聴く人間はいない。けんかするのも馬鹿馬鹿しい。それなら逃げるのも1つの方法だ。癪にさわるけれど1つの方法だ。シングル会も消えるだろう。それもときの移り変わりだと思う。この5年間充分に楽しませてもらったから。感謝して止めれば良い。最後に私にショックを与えた友人に誰の差し金かは聞いておこう。

独りのバカから次のバカが生まれてくる まるでゾンビ。

ゾンビが生まれてくる。ゾンビだらけになったら逃げる。逃げる準備は始める。まずは気持ちの整理から。

現実を見ず、妄想の中でしか生きられない精神異常者

次のステージに入っている。それに気付かず過ごしてきたのだ。今はもう過去になってしまった。そんなことを実感させられた。ある程度信じていた人間が、またしても裏切られた。人間って持ち上げられると何故ここまでバカになるのだろう?裏切りより失望が大きい。私は信じ始めると信じすぎる甘さがある。今回の失望もこの甘さが原因していることも歪めない。今日は良い天気だし、晴天の空気の中、晴れ晴れした空気の中活動すれば少しは気が張れるだろう。失望感で一杯でなのです。そんなものとは思いながらやるせない。私は何故期待し過ぎるのだろう。期待するから失望するのに。失望の海を泳ぐか、孤独を大海の中で楽しむか、そう考えると答えは出ている。隠れ家での一日を楽しもう。と言って、私は不完全燃焼の生涯を送ってきたから、今でも何かを求めて生きている。もしかしたら年代を考えるとかなり少数派になっているようだ。今日も隠れ家でマナブログを繰り返し受講するようにしよう。結局 独りでは何もできないが、何かをしようと考えると独りでしかできない。その都度、その都度協力者を得ながらなのだ。協力者からはいづれ裏切られることを念頭に置かなければいけない。そんな孤独との争いなのだろう。と言うことで、テニスクラブの一幕は終わった。

終わらせ方を考えよう

クズに説教しても始まらない。クズの考えは自分を大切にして欲しいだけ、その為なら相手をゴミ扱いして笑い者にしても気にもしない。今その対象が私なのだ。そのゾンビあ妄想の中で生きているので、その妄想を共有できるゾンビ候補を探している。対抗するのは私の苦手とするところだが、喧嘩を売られて黙って減る下る訳にはいかない。潰しに来た相手を潰しに行って失敗すれば、テニスクラブの終了だ。ただそれだけのこと。ゾンビを消せればテニスクラブ復活という単純なストーリー。何一つ恐れるものはない。ただゾンビから小便を掛けられ不快なだけ。ただそれだけの事。だから、このまま進めば良い。私に失敗の道はない。これが覚悟と言うものなのか・・・と今さら、この年になって遅すぎるが思っている。

テニスの道も 人間関係で変わる

見方と敵って単純なものではないが、テニスクラブなんて00.0%の人間がヒヨリ見。用は自分に火の粉がかからない道を選ぶ。だから、トラブルの真実など明かしても意味はない。ただ、全体の流れを作るために情報は多少必要だろう。それが真実であってもウソであっても。今私は仕掛けられている状態。陥れる為に仕掛けれれている。私は劣性なのだけに、状況を見ていなければいけない。ゾンビが私の近い人間に忍び寄って来たと言うことは、ゾンビの回りの人間から相手にされなくなってきたとも考えられる。孤立を始めたゾンビが見方を探し始めた可能性がある。それなら状況が変わってきていることになるのだが、ゾンビは追い詰められているとも考えられる。これはあまりに希望的観測な気がする。ゾンビのコンプレックス度は私の想像を越えていると感じているからだ。私の見方を増やすことが大切なのだろう。しかし、テニスクラブ内で確固たる者は作れないだろう。皆ヒヨリミなのだから。

ゾンビの手法が分かった 熟練した手法だが 浅はかなもので 今は行き詰っている模様

私の自信とプライドを無くして、テニスの上達を阻止すること。そして、私の人格を否定してクラブ員の一人でも多くに私をゾンビの様な非人格者に思わせることだ。その為なら何でもするだろう。嘘の吹聴。事実無根であっても悪い印象を与えられることなら周り全員に吹聴する。あたかも自分が被害者であり、被害を受け続けている様に。 何て厄介なゾンビなのだ。そして、私を不快に思っている人間には共感性を表し、共同で私を虐めにくるだろう。そんな厄介なクラブになろうとしている。そんな厄介なクラブに居る必要があるのだろうか? でも売られた喧嘩だから喧嘩を楽しみたい。

虐めを受け始めて1年 長いけれど、終わらない

虐めている方は、それほど思ってないし、それに荷担している人間は殆ど意識もない。ただ皆事実確認など考えもしていない、無能人ばかりだ。そんな生き方では惨めになっていくだけなのに。とは思いながら、虐められている私は辛い思いをしているときも多い。今回は不思議と回復が早い。恐らく回りの人間に助けられているのだろう。回りに助けがなければ、深みに嵌まっていただろう。そう思うと、テニスクラブも一つの社会を作っている。こんな事を何度も繰り返し、地道な練習を重ねることができれば、私の目標は近づくだろう。向上するとは、どこでも、何の世界でも同様な面がある。華々しい世界の裏は地獄だと言われているが、その小さい一部分なのだろう。

安住の場所が欲しかったのだろう。しかし、無理だった。

私は変化し過ぎた。まだ、これからも変化する。それに伴ってテニスクラブも変えるのが良いのだろう。変化を認める人と、認めない人が居る。多くは、変化をある程度認める。しかし、一部は認めない。と言うより、自分を中心に変化する範囲を決めている。範囲を越えたことは変化ではなく、偶然としか認識しない。その程度の人間も少数なんだが少なくない。私の側にも少し居て、それが、私を虐めにきている。正直疲れたから、新しいクラブを探そうか? それが健全な道かもしれない。私は、ボーッとしているときと、神経を集中させているときの落差が大きいタイプだ。ところが、ここを理解できないタイプも少なくない。すると、どちらか、自分より劣っている方をその人だと認識するタイプもいる。これが一番厄介なタイプだ。今私の側にそのタイプが居て、私を虐め続けている。それは、自分の立場と考えを維持するためと、自分の優位性を維持するためだけにだ。あまりにも惨めな発送だと私は思うが、彼にとっては大切なことの様だ。そんな厄介な人間に関わりなくない。だから、私の新しい居場所を見つけることが大切な課題になるだろう。私は、アフィリエイトブログの書き方を勉強中だ。先生はマナブログ。内容は素晴らしい。これからも続けるのですが、正直、私にはそれより、金にはならないが、このようなグダグダ思いを書いている方が似合っている。と言うか好きなのだろう。

励みを造ってくれている。何をしようと終わることはないが。

嘘を吹聴し、嘘を信じさせているゾンビが増えないことを願っているが、わからない。何故ならゾンビは事実確認などしないし、する必要性すら理解していないから。流れを見ているだけで自分の意見などないからだ。哀れだけれどそんな人間はどこでもいつでも多い。それはそれとしても、その全てを私への励ましと理解してテニスをすることにする。何の為にテニスを再開したのか分からない。本末転倒だが、流れに逆らうこともできない。この歪んだ苦しみをパワーにすることが最善の道なのかもしれない。それはゾンビに対する報復ではなく、自分探しの一つだと思う。一番大切なことは関わらない事。次にケンカの準備を始める事。ケンカはしたくないが止む得ない状況も有り得る。覚悟を決めることだ。ケンカは孤独に負けないこと、それに共感者の数。共感者と言っても、人は全員日和見と考えて良し。それでは、明日から臨戦態勢で、まずは私独りなのだが始めるとする。

流れが変わって来たかも

流れに何か違いがある様に感じる。私の動き出はなく、私を支えてくれている人が増えている事が大きく感じる。幸せなことだ。私は傲らず私の考えを進めて行けば良いと思える。しかし、今までの経験から言うと、また何処かで遮るものが出て来て潰されて来たのが私だ。今まで潰され続けて来て学んだことは、孤独に慣れること。誰か見方が欲しいと望まないことだ。どうなるにせよ、孤独は続く。仲間が居ると思えるのは幸せなのだが、またそのとき仲間が居ることも事実なのだが、泡の様に消えていくことも現実だから。独りを楽しみ、できれば少しの人にだけでも幸福感を感じてもらえればそれが私にとっての幸せになる様に感じてる。それにしても、独りなのだ。孤独に不安を感じると崩れる様にも思える。私としては今この感情を得られていることが幸せだと感謝している。

居場所が無くなり クラブを去るかもしれない

テニスクラブを去ることになったとしても、私は満足しているかもしれない。何故?と思う人も多いかもしれないんですが、それが私の面白いところなのかも・・・。独りの重要人物が転勤になるかもしれない、そうなれば、私のポジションは無くなる。でも、私のテニスもこの5年で終わったとしても、5年間の充実感も与えてもらった。テニスには感謝しかない。それで良い。また孤独な旅を再開するだろう。それもまた楽しいものだ。まだそう決まった訳ではないし、逆も有り得る状況だ。どこかでテニスのできる場所を探すことにする。今日は昼から雨の予報なので車でマックに寄っている。これもまた気持ちが変わって楽しい。それに、久々のダブル注文が入って嬉しいのと、リップルの動きが良いので気持ちが明るい。先日まで50万弱の資産が、今日は160万円にまで膨らんでいる。しかも、50万円(最初の投資金額)は円で預けているので、仮想通貨は110万円程度の資産であり、これが増えても減っても、資産分全てが利益だからとても気楽だ。こんなこともあって気が楽なのだろう。テニスクラブのことは暗い一面はあるが、そんなこと私の生命には何の影響もない。テニスクラブを止めたら、それこそ、滋賀のリゾートマンションでも買ってそこを拠点にテニスができれば最高かもしれない。でも、思うのに、私らしい結末が居場所を無くすことなのだろう。妙に納得もしている。それだけに、今を精一杯楽しめばそれだけで良。ただそれだけ。どこにも厄介な自己中の人間と日和見で動いている人間で80%を締めている。私はどこにも属さないだけの人間なのに、身勝手な人間と言うレッテルを張られている様だ。今さら、そんなことで、嫌な思いをしても動じるこはない。私は問題児なのだろう。とは言え、細かな勢力争いのケンカを楽しんでいるのは良いとして、私は次の生き方の模索を始める時期だと言うことなのだと思う。同じ状況はいつまでも続かない。新しい環境での生き方を見つけている方が気持ちも、実生活も楽なのだから。

テニスクラブに行って

一番ショックを受けた人とテニスをした。裏切られた感じを受けた人物だ。裏切りと言うより日和見だと思う。情けない老人だと思う。あのような老人にはなりたくない。とは言い何もなかった様に振る舞っている。これが社交テニスだろうが、皆同じだ。考えなどない。そんな中で虐めが有るのだから、正直に情けない。そんな中での問題など無いに等しい。どうでも良いことでも気を揉むし、最悪は居場所を無くす。でも大切なことはテニスの腕を上げることだ。明日は昼からテニス。

 

希薄な人間関係の中、居場所を求めている? 私はニュートラルで居たい。

ニュートラルを維持するには、孤独を楽しむことが一番。希薄な人間関係の中での触れ合いで良いとしている。深入りするとエゴが見えて来て嫌になる。エゴの強欲に巻き込まれたくないから。

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稼げるブログとは  tetsu.booの間違い

稼げるブログとは ポイントがズレルとただの日記

マナブログで勉強している最中ですが、tetsu.booも少しでも稼ぎたいと思っていたが、今は1つの記事で毎月3,000円程度。他の記事での収入はゼロ。ダメだと気づきながら、マナブログで勉強して、大きな間違いに気付いた。tetsu.booは10年以上インターネットショップで生活を支えてきて、ブログ集客の大切さに気づき挑戦してきたがそれほどの効果は出来なかった。 googleのアルゴリズムもかなり変わっている用なのですが、7~8年前のアルゴリズムで聞いていた内容、長文、非リンクの数、キーワードの出現回数などが大切と聞いていて、否、tetsu.booの記憶に残っていて、そこから変化はしていると考えていたが、googleの進歩はrtetsu.booの思惑を遥かに越えて進んでいた。マナブログは偉大だと思ってます。ビデオを3回見直して漸く気付いたと言うのが本音です。実践はまだこれからですから、本当に分かったのではないのです。今は頭を殴られた、そして気付いた程度でしょう。まだ同じビデオを見て頭に叩き込みます。そしてブログの実戦ですが、 tetsu.booにはまだまだ課題が残ってます。文章力です。10年以上ネットショップを運営してきた経験でインタ=ネット環境には年齢の割には慣れ親しんでいますので、これからの10年はブログで少しで良いのですが稼ごうと考えたのですが、まだまだ課題の山が大きいです。tetsu.booが文章を書くと、経験談になってしまうことが問題です。経験だけでは文章の幅が狭く、書けることも限られますから限界が直ぐ其処に出てきます。ましてや、稼ごうとししたアフィリエイトブログは書けないです。キーワードから読者の悩みを見つけ、それを見出しに明記する。次に、その悩みを取り除く方法を文章で説得すること。次に悩みが解決したら、どの様になれるか(小さな夢)を見出しに持ってきて次の文章でまた説得する。そんな一連の文章ができれば良いのでしょう。これはtetsu.booのブログ、体験談ブログとは大違いです。

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環境で感性は大きく変わるのかな?

考え方が変わってきているのが不思議

好みと言うか趣向が変わってきてる。何故なのか自問自答しているのだが分からない。そんな物なのだろうか?仕事場(隠れ家)に向かっている途中なのですが、今日仕事はとくにない。ついこの前であれば、哀しい状況だったのに、今は楽しみにもなってる。隠れ家があって幸せだ。家にいなければいけないと考えると憂鬱になる。格安別荘・リゾートマンションを探すことを楽しみにしていたときが長く続いていた。ところがだ、いま、興味が変わってきている。池田の隠れ家がそれを兼ねている面ああるからなのだろうか?経済的負担が大幅に減ったことも大きいと思っているのです。自分の事ですが分からないのです。でも解放感も感じられて、幸せ感が増しているので良いことだと思ってます。さて、今日は時間があるので、再度、いや再再度ブログ収益の説明を読ませてもらい勉強することにしよう。今の環境で、私の趣向で稼ぐ方法として考えると、幅が狭まる。隠れ家にはベッドも出来ているし、もう少し配置を考え、ベランダと部屋を一体感を持たせれば、とりあえずは完成だと思ってます。こんな幸せが私に来て良いものだろうか?自分でそう感じているのですから、最高の幸せを味わっているのでしょう。朝、清々しく起きて、美味しく朝御飯を食べて、自転車で隠れ家に向かう。途中でコーヒーをいただいているのが今です。これが幸せなのです。バカな老人になって来ているのでしょう。私はズーット孤独に生きてきた人間です。それは少し変わった生き方だと思うし、他人にお勧めできるものではありません。しかし、仕方がなかった面も多いのです。そんな私ですから、これからも孤独を楽しむ事をします。今私の回りに居る人と言えば、家族とテニス関係、それに若干の仕事関係だけです。小さな、小さな世界の中で生きています。まだ思っていることは、小さな家を海の見えるところに、部屋からテラスから海を眺められる、そんな小さな家が欲しいのです。私には経済的な面でできないとは思ってますが、私の1つの夢なのです。実現できそうにない夢を可能にするためにも稼ぎが欲しいのです。私はシブトイ人間ですから、まだ、ほんの少しの可能性は残っていると思ってます。そんな夢を見ながら隠れ家に通うことは幸せなことです。隠れ家に私の夢の写真でも貼るのが良いかもしれないですね。子供のような夢なのですが、子供の様に幸せなのです。

ブログで収入を狙うのが 私には最適

次の仕事を考えなければいけないことは充分に理解しているのですが、それが見つからず、ダラダラと絞まりのない時間を費やしてきたのが現実ですが、私の環境で、一番適していると思えるのは、やはりブログからの収益なのです。しかし、これはかなりハードルの高い事だと分かっているので、今まで躊躇していました。でも、何も出来ずに時間だけが過ぎていたことを考えると、高いハードルであっても挑戦することの方が後悔しない道だと考え直して、向き合うことにします。お手本にするのは「マナブブログ」です。まだ20代の青年ですが、私の感覚では一番真実を語っている様に思えるからでう。彼は天才ブロガーで年間一億は稼いでいるようです。私の様な年老いてインターネットの感性が大きく違う凡人には到底叶う数字ではありません。私の目標は20万円/月です。目標と言うより夢なのかもしれないです。私の最後の挑戦になるかもしれないです。

変化しているのは 何?

自分が変わって来ている。やっかみで見ている人からは調子に乗ってると理解する人も居るのだろう。私からすれば、本来に近づいているだけなのに。この20年間は私の地獄と天国への道をさ迷っていた。ひとつの理由はテニスの復活だ。それに平衡して息子の独立。家内の遺産相続。これだけあれば充分かな?虐げられた人生だった。やっと解放されようとしている。負の財産がまだ多く解放とまでは行かないのですが、水面が見えてきた程度なのでうが、この明るさが私には解放感になっているのでしょう。ブログで収益をあげようとしているのですから、これからはカフェでアフィリエイト用のブログを書くことを中心にしたいのですが、まだ、その感性が身に付いていないのです。自分が変わって、それを悪くとっている人々も少なくない。そんな人々とはお別れするときなのです。自分が変わっても、他人は変えられないのですから、そんな人々と無駄な時間を過ごすことはないのです。いつでも、自分に相応しい環境はどこかにあるものです。簡単に見つからなくても、孤独を楽しめば良いのです。そんな生き方ができることが幸せなのです。今日からは、アフィリエイトブログの勉強です。何度も挫折しているアフィリエイトブログですが、今回が最後の挑戦かも。カフェでブログを書きながら気持ちの整理をしている時間が幸せを感じる時間でもあるのです。何故かは分からないのですが。他人それぞれに幸せを感じる時間は違うのでしょう。それぞれが自分が幸せと感じる時間を見つけられればそれで良いのですから。私にはアフィリエイトブログを書く感性がいくつも足りません。それが何かさえ分かってません。それら、すべてこれからなのです。

 

ブログを書くって 難しいな

アフィリエイトブログを書いていた。今日は数時間費やしたと思う。肩が凝った気もする。何を書いて良いのか分からないし、書き方も分かってない。マナブログを珠に見て、分かった気になって進めたものの、ほとんど分かってない。そんな暗中模索で書いていて勉強になるのか?と思うが、地道な繰り返ししかないと思っている。反復練習の中で気づくものがあるだろうと、期待は大きいのです。私の老後への準備は今からなのだから。今は何も準備できていない老人破綻予備軍でしかない。生きて行くだけで幸せなのだから、それ以上の生活を望んで実現しても、それ以上の幸せはない様に感じている。だれか伴侶が居ればフィリピンなどへ移住しての生活も楽しいかもしれない。どこで生活しても、独りで楽しむ力があれば、幸せになれるし、そのとき伴侶がいればより大きな幸せになると思う。しかし、伴侶の程度によって膨らみが変わるだけだと思う。いがみ合えば幸せは縮むだろう。それだけのこと。

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何か出来ることがある

まだ、何かできるはず

私には そんな気持ちがあるから、隠れ家が心地良いのかもしれません。現実は何もできなくても・・・なのです。性格なのでしょう。そう思って生きていることが幸せなのだと思ってます。 隠れ家にベッドが出来、ちょっと横になれるだけで、気持ちに余裕ができた気がします。コーヒーを美味しく飲める ひと時が生まれた気がしてます。予想も出来なかったことです。予想もしていなかったことは 良く起きることです。細かなことが殆どなのですが、そんなことで気持ちが変わってしまうことは良くあることですね。

 気持ちにゆとりがあって、何ができるのか・・・を思いめぐらすことが好きなのでしょう。子供の様と言われても、その通りだと思います。ひとつは「テニス」もう一つは「仕事」です。そして他にもしたい事はあるのですが、お金の問題が大きく出来ません。仕事と言っても週に3日の仕事ですから、虫の良い話だと言われても仕方がないですが・・・・。週に4日はテニスの日になっています。大雑把にこのスケジュールは当面変えることはできないと思ってます。こんな身勝手な生活パターンができること自身が途轍もない幸せなことを 忘れてはいけないですね。もしかしたら、この幸せを忘れないことが、一番大切なことに思えます。地面を這いつくばって、その日暮らしをしていた苦い経験が、今の幸せ感を創っていると思えます。

何もしていない日が続いている

仕事場行っても仕事をしていない日が続いている。だから自分でも隠れ家と呼んでいるいるんですが。言い訳にもならないですね。ロフトベッドを作ったので、身体を横にして楽になったのは大きな成果なのですが、仕事としてはプラスになっていないですね。これからは、毎月20万円の利益を求めて仕事をしたいのですが、今は休息の日々。何時になったら自分に変化が現れるのか?私は死ぬまで自分探しをしている気がするのです。何もしていないと言っても、受注業務だけはやってます。現状それで、目標の利益は上がるのですが、このままでと何れ大幅に減るでしょう。そこで何をすれば良いのか?今までなら、何をすれば良いのか分からない中でも、何もせずにはいられず、もがいてました。それが、もがく姿勢が無くなったのです。私はもがいている中で、偶然に少しのヒットがあり、生き延びて来た人間です。今となって能力のない人間だったと思い直してます。自分のことを他人と比べても何も生まれて来ませんが、他の人はどうなのか?と感じることはあります。能力のない人間が生き延びるためには、もがく姿勢が要るのでしょうか?もがく姿勢を失った能力のない人間は、終わってしまうのでしょうか?私はズーット独りで仕事をしていた。これからもそうだろう。サラリーマンのときは、独りでもそれなりの給料があったが、それが組織の中での幻だったのかもしれない。今になってそう思うこともある。と言って、組織の中の独りは多かれ少なかれ同じ状況だ。それが組織力なのだろうが、組織力を今さら大きく感じる。独りでも何か出来ることはあると信じていたが、それには大きな運と大きな能力が必要だったのだろう。私には、どちらも無かったのです。それを気づくだけの体験をしたことが私の大きな意味だったのかもしれないですね。でも、何も出来なかったけれど、後悔もないのは不思議です。生きるって言うことは結果ではないのかもしれません。隠れ家生活も何もないのですが、不満はないです。続けられる限り続けようと思ってます。テニスも同様に何の結果もないかもしれません。でも目標をもってやることに満足しているのでしょう。現状を眺めていると、テニスも仕事もこの程度なのかと思ってしまいますが、それを認めたくないから努力し続ける環境を維持し、目標に近づけたいのでしょう。それが今の現状なのでしょう。現状から抜けるためには何をすれば良いのか?ブログ収益を狙うなら、少数派であっても他人の役に立つ内容でないとダメでしょう。このブログは自分の役には立っているのですが、他人の役に立つとは思えないです。ブログでも何を目的にしたものが良いのか、今あるブログを見直し考えるべきでしょう。テニスならどこでポイントを取るテニスをするかを考え練習しないと勝てるテニスにはならないでしょう。どちらも、目標から見るとまだまだスタートラインに近いことになりますが、一歩一歩進める目標を考えないと、このままになってしまいます。

居場所のない人間は 辛い

家の中での居場所はあるものの、窮屈だから「隠れ家」に拘るのだろう。隠れ家=私の居場所 なのだろう。自分のこと、自分では分かりにくいものですね。今の私に一番似合っている作業はブログを書くようなことだと思う。それで毎月20万円稼げれば素晴らしいことなのだが・・・・・今ブログの収入は精々2,000円/月。今の100倍必要になる。ブロガーの天才たちは 何百万円と稼いでいるから、20万円なら可能な金額と考えられるが、現状の2,000円を基本に考えると不可能な金額だ。私のブログの中では一番出来の良いのが「photopea」の説明ブログだろう。それでも月に1,000円程度だろう。何のブログを書けば50,000円程度稼げるのだろう?ここから再出発してみようと考えている。

私の貧乏生活が、再び始まろうとしているようだ。

今度の貧乏は食えない貧乏ではない。仕事から解放され、関わる世界が小さくなり、家族の生活が中心になる。さらに夫婦の生活が世間の中心になるなかでの、私だけ孤立した貧困だ。ここから逃れる方法はあるが、それは別居生活だ。多額の遺産を相続した人と無一文の私の違いだ。別れることに後悔はない。息子の一人立ちで私の目標は終えた。孤立した貧困から抜ける為には、自分で稼がなければいけない。今仕事をしているのは、継続しようとしているのは、借金返済と言う、目先の現実があるものの、実はこの「孤立した貧困から抜けだす為」なのかもしれない。

今更? 

漸く分かった事があります。今までは生活費を稼ぐ為に、余裕などまったく無かったから気づかなかったという事にしておこう。私が、どうのこうのと思考を巡らせているのは、居場所が無かったからだ。それが、生活苦からほぼ解放されたので、気づいたのだろう。私の生活空間に大の字になれる居場所がないからのようです。幸か不幸か、不幸なのですが、色々と思いを巡らせると言うことでは良かったのでしょう。しかし、これからはどうなるでしょう。目的をなくすと我慢も出来なくなると言うものでしょう。莫大な遺産をもらった嫁が暴走を始めたら終わります。それを考えると、私自身の棲みかを考えなければいけないのです。金の無い私が、今すぐ手を打つことはできません。しかし、考えておかないと逃げ場を失います。今すぐなら、隠れ家件事務所になります。それで良いのです。息子が一人立ちした後、私の目的を明確にすることも大切です。自分がぶれない為にです。テニスの方が目的がハッキリしている様に感じてます。仕事は、今までの流れでの受注業務は良いのですが、次の目的が必要になっていますが、見つけられてない。ブログを奇跡のブログを再度考えてみましょうか?、それくらいしか、私にはアイデアがないのが現実です。何のブログを書くか? 他人の役に立つもので、自分に出来るものとは何か?です。

夢に頼って進めて来た テニス と 仕事 夢が陽炎の様に

一区切りが過ぎたのです。今までの夢を見続けることは出来るのですが、現実も見えてきているので、夢の遠さが、いや厳しさに負けているのが今の現実です。まず、先の目標は大切ですが、今がスタートラインとして改めて、目標に向かう道を考えるべきなのです。目標は遠くにあって良いのですが、進めるのは一歩一歩なのですから。その一歩を確実に進めることが大切なこと。今日の一歩を毎回考えて臨むことが出来れば進歩も現実的になるでしょう。もっともっと地味な一歩を考えなければ進歩が無いように感じている。

テニスの一歩は?

深いボールを打つこと。サービスのパワーを増すこと。バックハンドのパッシング(ストレート)を練習しマスターすること。当面はこの3つに絞って一歩一歩進める。

仕事の一歩は?

wordpressを全くの初心者が始められる様に、説明ブログを作る。サーバーをレンタルするところから始める。ブログの構造に注意して作ること。 wordpressはこれからも発展する可能性が高いので、構造が悪いとブログが醜くなる、すなわち、googleから嫌われるブログになり、自然検索がされにくくなる。

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気温は低いけれど、光が春めいて

行動パターンに変化

自転車移動が中心なので、隠れ家への移動も自転車です。片道5㎞程ですが、途中に郊外にしては大きい駅、川西能勢口、があります。そこで休憩していることが多いのですが、今日は時間がなかったので、休憩なしに隠れ家に来ています。時間がないと言っても、昼からテニスに行くので、午前中しか仕事に向かっている時間がないからです。隠れ家を心地よい隠れ家に変えたいのですが、所詮ワンルームマンションですので狭いスペースなので、大きな期待が出来るはずありません。お金が掛かることはできないので、DIYでの対応です。最初の ロフトベッド件、商品置き場作りは残すは階段だけになりましたから、次のアイデアを考え中です。狭い部屋の有効活用にロフトベッドは効果がありますよ。それにホームセンターで売っている 2×4 と 1×4 の木材を使って、ホームセンターでカットしてもらえば安くできます。私の場合6000円程度です。カットは全てホームセンターで(1カット20円程度でした)、材料を隠れ家に持ち帰り、電ドリで木ねじで止め、補強に金属留め具を利用してます。結構しっかり出来上がりました。

テニス・シングル練習を終えて

定例になっている練習会。少ないときで週に3日練習している。身体が慣れてきたのは良いことだ。今がスタートラインと思って練習をしている。どこまで上がれるかは分からないが、まだまだ上がることは間違いない。テニスクラブの他のメンバーは全く理解できていない。だから調子に乗っている。近い将来元に戻りダメになると信じて疑わないメンバーも多い。中途半端に上手い奴らは全員、自分が上手い。そんな奴らは、私が自分より上手くなる訳がないと信じている。全て、テニスクラブの中での優位性を守りたい保身と、自分の高すぎるプライドからだ。私の思いと大多数のメンバーの思いが違いすぎ、気持ちの軋轢が大きく、萎えているときが度々ある。辛い話なのだが。ここまで来て自分に負けていられない。しかし、クラブのメンバーの心がどの様に変わって行くのか行かないのか、それを見ているのは楽しい。厚かましい保身勢力というバカたちを眺めているのが楽しいのです。悪趣味と感じる方もいるとは思いますが、バカに説明すること程 バカをみる結果になることは経験的に分かっている。

バカに理屈は通らない。今は少しの結果が出始めている段階だから、一部の思い上がった連中からは「今ならまだ間に合う。何とか潰したいと焦り始めている。」そんな状況だ。だから、まだまだ相手にしない方が健全なのです。

「バカに理屈は通らない」のは当たりまえ

バカに理屈は通らないのは単純な理由です。バカは理論を考え将来を導くことを知らないからです。

 結果に合わせて理屈をコジツケルことが理論だと信じているからです。

借入のある銀行に 決算書を提出

借入のルールとして決まっているのですから毎年提出しているのですが、何の為にしているのでしょう?経営改善の手助けが名目なのでしょうが、現実は「危ない会社は早く金を返してもらって手を引く」為の判断材料なのでしょう。銀行って言うと聞こえは良いですが、本来の気質は「金貸し」です。

 金貸しの考え方として推測すると当然なのでしょう。合法的「金貸し」が銀行なのでしょう。優秀な大学を卒業した人が大勢合法的「金貸し業」に入社していますが、何かが違っている気が、私はします。優秀な人材なら社会を幸福に導く仕事に就いて 実力を発揮してほしいものです。学生が金融業を目指すのは、給料が良いからです。推測が過ぎるのかもしれませんが、金融業が高級になる社会の仕組みが作られているとすると、さらに厄介で、一般人の幸せは遠くに置き去りにされている様に感じます。

ミスの多いテニスにウンザリ

不調でヤル気の出ないテニスを繰り返している。恐らく、試合を造る力が付いてきて ミス待ちテニスから攻めるテニスに変わりつつあるのですが、自分のミスボールが気になっているからでしょう。だから打ち切れないので余計に甘いボールが多くなり攻められ、自分がミスをし、ポイントを取られているのです。ここも乗り越えないと、次のステージは来ないと思ってます。練習の後、自宅でスマーティに入って色々と考えているのです。仕事をしている時間より、テニスの時間の方が多くなっている私には反省が多いのです。

結果に合わせて 理論をすり替えながら生きている人間

理論とは未来を見る指針になっているものとしか考えてなかった。しかし、多くの人は違う。結果に合わせて理論を作りだし、すり替えて生きている。人生に意味などなく、究極の目的、意味は「生きること」であるとすると、理論なんて、薄っぺらなものなのだろう。そう考えると倫理や宗教も同じかもしれない。あまりに極端な理論ではあるのですが、そう思いたくないのですが、ある一面では真実だと思うのです。

テニスの新しいステージは 課題山積

新しいステージに入ったと喜んでいたのも束の間。明るい光はあるものの、真っ暗って言う感じです。課題が山積していて何から手を付けて良いのか分からないくらい。ひとつひとつ潰していく努力をするしかないだろう。ボールの角度、深さとも甘い。そして出玉のスピードも遅い。これだから、帰ってくるボールで決められることが多い。これでは試合に勝てない。ここを乗り越えられれば、また次のステージが見えてくる。足が遅い、構えが遅いのも影響してる。なにか、全てがワンテンポ遅れている感じなのだ。66才でこの感覚を味わえるのは幸せ者だ。まともに走れない同年代も多いのだけど、50才くらいの人間と比べて、遅さを感じて改善を迫られていると言うのは幸せ者なのです。この感覚を持ち続けれる様に努力しよう。

息子の未払い年金を払い終えた

この4月から就職が決まっているので、4月からは会社が支払ってくれる年金ですが、20才を越えてからこの3月までの国民年金を支払い終えた。息子にしなければいけないこと、これが最後になるだろう。しなければいけないと思っている事を終えた喜びがある。その日暮らしで生活してきた私にとっては苦労の連続だったのですが、大きな一区切りを迎えられたことで誰にも言えず、自分だけで喜んでいる。私はそんな人間なのでしょう。嫁との関係もリフレッシュする時期なのでしょう。新しい自分の生活が始まるのです。嫁との協力関係は継続する部分はあるでしょうが、独立した別々の人間に戻ると言うのが、相応しい表現に思えます。仲の良い夫婦も沢山いる様ですが、私には考えられません。そんな形を求めると、より不幸になるように思えます。何故なら、私が彼女に合わす部分があっても、彼女は私に合わせる気は本質的にありません。

 

ロフトベッド 完成間近

階段も出来た。補強金属が必要だったので、階段だけで2,000円掛かってしまった。修正はまで残っているし、ベッドのユラユラが気になり始めると、気になるので補強しようかと思っている。方法は床から天井まで2×4木材を入れ、ラブリコかディアオールで天井を固定する方法です。ベッドの両端を補強すれば完璧だと思われます。それに2,500円程掛かるので やはり合計で1万円程度にはなってしまいますね。でも 隠れ家で横になれるのは、快適です。これから昼寝はここでできるでしょう。ちょっと休憩(多くあります)のとき、横になると体が楽です。この感覚は年齢によるものなのでしょう。逆らうことより、馴染んで快適と効率を求める方が前向きだと思ってます。私に隠れ家は必要なのだと思います。ここで自分らしく生きる方法を模索するのが楽しみでもあり、解放感を感じられるのです。変な趣味なのかもしれないですね。