テニスクラブ 終わった




テニスクラブの桜 tetsu.boo.Life
宝塚パブリックローンテニスクラブ

ロハスショップ

テニスクラブ終わった。居場所が無くなった。

暗雲が立ち込めていたのは1年以上前から。ここまで執拗に虐めが来るとは思ってなかった。まだまだ立ち向かう力は残っているが、正直言って疲れを感じている。昨日が留目を指した感がある。テニスの友人から言われた一言で終わった。彼の発送に昨日の言葉はあり得ない。言ってくれと伝えられて言わされたのだろう。それもショックの要因なのだ。そんなに軽い人間だったのか?と失望した。でも私は大丈夫だと思っている。テニスクラブが終わっても、また孤独を楽しめば良いのだから。張本人は分かっているが、その回りの人間も共感しているのだから情けない、事実に関係なく妄想で何人かの意見として伝えたのだろう。私も退部するのが一番早い方法だ。私の回りに私の指示を聴く人間はいない。けんかするのも馬鹿馬鹿しい。それなら逃げるのも1つの方法だ。癪にさわるけれど1つの方法だ。シングル会も消えるだろう。それもときの移り変わりだと思う。この5年間充分に楽しませてもらったから。感謝して止めれば良い。最後に私にショックを与えた友人に誰の差し金かは聞いておこう。

独りのバカから次のバカが生まれてくる まるでゾンビ。

ゾンビが生まれてくる。ゾンビだらけになったら逃げる。逃げる準備は始める。まずは気持ちの整理から。

現実を見ず、妄想の中でしか生きられない精神異常者

次のステージに入っている。それに気付かず過ごしてきたのだ。今はもう過去になってしまった。そんなことを実感させられた。ある程度信じていた人間が、またしても裏切られた。人間って持ち上げられると何故ここまでバカになるのだろう?裏切りより失望が大きい。私は信じ始めると信じすぎる甘さがある。今回の失望もこの甘さが原因していることも歪めない。今日は良い天気だし、晴天の空気の中、晴れ晴れした空気の中活動すれば少しは気が張れるだろう。失望感で一杯でなのです。そんなものとは思いながらやるせない。私は何故期待し過ぎるのだろう。期待するから失望するのに。失望の海を泳ぐか、孤独を大海の中で楽しむか、そう考えると答えは出ている。隠れ家での一日を楽しもう。と言って、私は不完全燃焼の生涯を送ってきたから、今でも何かを求めて生きている。もしかしたら年代を考えるとかなり少数派になっているようだ。今日も隠れ家でマナブログを繰り返し受講するようにしよう。結局 独りでは何もできないが、何かをしようと考えると独りでしかできない。その都度、その都度協力者を得ながらなのだ。協力者からはいづれ裏切られることを念頭に置かなければいけない。そんな孤独との争いなのだろう。と言うことで、テニスクラブの一幕は終わった。

終わらせ方を考えよう

クズに説教しても始まらない。クズの考えは自分を大切にして欲しいだけ、その為なら相手をゴミ扱いして笑い者にしても気にもしない。今その対象が私なのだ。そのゾンビあ妄想の中で生きているので、その妄想を共有できるゾンビ候補を探している。対抗するのは私の苦手とするところだが、喧嘩を売られて黙って減る下る訳にはいかない。潰しに来た相手を潰しに行って失敗すれば、テニスクラブの終了だ。ただそれだけのこと。ゾンビを消せればテニスクラブ復活という単純なストーリー。何一つ恐れるものはない。ただゾンビから小便を掛けられ不快なだけ。ただそれだけの事。だから、このまま進めば良い。私に失敗の道はない。これが覚悟と言うものなのか・・・と今さら、この年になって遅すぎるが思っている。

テニスの道も 人間関係で変わる

見方と敵って単純なものではないが、テニスクラブなんて00.0%の人間がヒヨリ見。用は自分に火の粉がかからない道を選ぶ。だから、トラブルの真実など明かしても意味はない。ただ、全体の流れを作るために情報は多少必要だろう。それが真実であってもウソであっても。今私は仕掛けられている状態。陥れる為に仕掛けれれている。私は劣性なのだけに、状況を見ていなければいけない。ゾンビが私の近い人間に忍び寄って来たと言うことは、ゾンビの回りの人間から相手にされなくなってきたとも考えられる。孤立を始めたゾンビが見方を探し始めた可能性がある。それなら状況が変わってきていることになるのだが、ゾンビは追い詰められているとも考えられる。これはあまりに希望的観測な気がする。ゾンビのコンプレックス度は私の想像を越えていると感じているからだ。私の見方を増やすことが大切なのだろう。しかし、テニスクラブ内で確固たる者は作れないだろう。皆ヒヨリミなのだから。

ゾンビの手法が分かった 熟練した手法だが 浅はかなもので 今は行き詰っている模様

私の自信とプライドを無くして、テニスの上達を阻止すること。そして、私の人格を否定してクラブ員の一人でも多くに私をゾンビの様な非人格者に思わせることだ。その為なら何でもするだろう。嘘の吹聴。事実無根であっても悪い印象を与えられることなら周り全員に吹聴する。あたかも自分が被害者であり、被害を受け続けている様に。 何て厄介なゾンビなのだ。そして、私を不快に思っている人間には共感性を表し、共同で私を虐めにくるだろう。そんな厄介なクラブになろうとしている。そんな厄介なクラブに居る必要があるのだろうか? でも売られた喧嘩だから喧嘩を楽しみたい。

虐めを受け始めて1年 長いけれど、終わらない

虐めている方は、それほど思ってないし、それに荷担している人間は殆ど意識もない。ただ皆事実確認など考えもしていない、無能人ばかりだ。そんな生き方では惨めになっていくだけなのに。とは思いながら、虐められている私は辛い思いをしているときも多い。今回は不思議と回復が早い。恐らく回りの人間に助けられているのだろう。回りに助けがなければ、深みに嵌まっていただろう。そう思うと、テニスクラブも一つの社会を作っている。こんな事を何度も繰り返し、地道な練習を重ねることができれば、私の目標は近づくだろう。向上するとは、どこでも、何の世界でも同様な面がある。華々しい世界の裏は地獄だと言われているが、その小さい一部分なのだろう。

安住の場所が欲しかったのだろう。しかし、無理だった。

私は変化し過ぎた。まだ、これからも変化する。それに伴ってテニスクラブも変えるのが良いのだろう。変化を認める人と、認めない人が居る。多くは、変化をある程度認める。しかし、一部は認めない。と言うより、自分を中心に変化する範囲を決めている。範囲を越えたことは変化ではなく、偶然としか認識しない。その程度の人間も少数なんだが少なくない。私の側にも少し居て、それが、私を虐めにきている。正直疲れたから、新しいクラブを探そうか? それが健全な道かもしれない。私は、ボーッとしているときと、神経を集中させているときの落差が大きいタイプだ。ところが、ここを理解できないタイプも少なくない。すると、どちらか、自分より劣っている方をその人だと認識するタイプもいる。これが一番厄介なタイプだ。今私の側にそのタイプが居て、私を虐め続けている。それは、自分の立場と考えを維持するためと、自分の優位性を維持するためだけにだ。あまりにも惨めな発送だと私は思うが、彼にとっては大切なことの様だ。そんな厄介な人間に関わりなくない。だから、私の新しい居場所を見つけることが大切な課題になるだろう。私は、アフィリエイトブログの書き方を勉強中だ。先生はマナブログ。内容は素晴らしい。これからも続けるのですが、正直、私にはそれより、金にはならないが、このようなグダグダ思いを書いている方が似合っている。と言うか好きなのだろう。

励みを造ってくれている。何をしようと終わることはないが。

嘘を吹聴し、嘘を信じさせているゾンビが増えないことを願っているが、わからない。何故ならゾンビは事実確認などしないし、する必要性すら理解していないから。流れを見ているだけで自分の意見などないからだ。哀れだけれどそんな人間はどこでもいつでも多い。それはそれとしても、その全てを私への励ましと理解してテニスをすることにする。何の為にテニスを再開したのか分からない。本末転倒だが、流れに逆らうこともできない。この歪んだ苦しみをパワーにすることが最善の道なのかもしれない。それはゾンビに対する報復ではなく、自分探しの一つだと思う。一番大切なことは関わらない事。次にケンカの準備を始める事。ケンカはしたくないが止む得ない状況も有り得る。覚悟を決めることだ。ケンカは孤独に負けないこと、それに共感者の数。共感者と言っても、人は全員日和見と考えて良し。それでは、明日から臨戦態勢で、まずは私独りなのだが始めるとする。

流れが変わって来たかも

流れに何か違いがある様に感じる。私の動き出はなく、私を支えてくれている人が増えている事が大きく感じる。幸せなことだ。私は傲らず私の考えを進めて行けば良いと思える。しかし、今までの経験から言うと、また何処かで遮るものが出て来て潰されて来たのが私だ。今まで潰され続けて来て学んだことは、孤独に慣れること。誰か見方が欲しいと望まないことだ。どうなるにせよ、孤独は続く。仲間が居ると思えるのは幸せなのだが、またそのとき仲間が居ることも事実なのだが、泡の様に消えていくことも現実だから。独りを楽しみ、できれば少しの人にだけでも幸福感を感じてもらえればそれが私にとっての幸せになる様に感じてる。それにしても、独りなのだ。孤独に不安を感じると崩れる様にも思える。私としては今この感情を得られていることが幸せだと感謝している。

居場所が無くなり クラブを去るかもしれない

テニスクラブを去ることになったとしても、私は満足しているかもしれない。何故?と思う人も多いかもしれないんですが、それが私の面白いところなのかも・・・。独りの重要人物が転勤になるかもしれない、そうなれば、私のポジションは無くなる。でも、私のテニスもこの5年で終わったとしても、5年間の充実感も与えてもらった。テニスには感謝しかない。それで良い。また孤独な旅を再開するだろう。それもまた楽しいものだ。まだそう決まった訳ではないし、逆も有り得る状況だ。どこかでテニスのできる場所を探すことにする。今日は昼から雨の予報なので車でマックに寄っている。これもまた気持ちが変わって楽しい。それに、久々のダブル注文が入って嬉しいのと、リップルの動きが良いので気持ちが明るい。先日まで50万弱の資産が、今日は160万円にまで膨らんでいる。しかも、50万円(最初の投資金額)は円で預けているので、仮想通貨は110万円程度の資産であり、これが増えても減っても、資産分全てが利益だからとても気楽だ。こんなこともあって気が楽なのだろう。テニスクラブのことは暗い一面はあるが、そんなこと私の生命には何の影響もない。テニスクラブを止めたら、それこそ、滋賀のリゾートマンションでも買ってそこを拠点にテニスができれば最高かもしれない。でも、思うのに、私らしい結末が居場所を無くすことなのだろう。妙に納得もしている。それだけに、今を精一杯楽しめばそれだけで良。ただそれだけ。どこにも厄介な自己中の人間と日和見で動いている人間で80%を締めている。私はどこにも属さないだけの人間なのに、身勝手な人間と言うレッテルを張られている様だ。今さら、そんなことで、嫌な思いをしても動じるこはない。私は問題児なのだろう。とは言え、細かな勢力争いのケンカを楽しんでいるのは良いとして、私は次の生き方の模索を始める時期だと言うことなのだと思う。同じ状況はいつまでも続かない。新しい環境での生き方を見つけている方が気持ちも、実生活も楽なのだから。

テニスクラブに行って

一番ショックを受けた人とテニスをした。裏切られた感じを受けた人物だ。裏切りと言うより日和見だと思う。情けない老人だと思う。あのような老人にはなりたくない。とは言い何もなかった様に振る舞っている。これが社交テニスだろうが、皆同じだ。考えなどない。そんな中で虐めが有るのだから、正直に情けない。そんな中での問題など無いに等しい。どうでも良いことでも気を揉むし、最悪は居場所を無くす。でも大切なことはテニスの腕を上げることだ。明日は昼からテニス。

 

希薄な人間関係の中、居場所を求めている? 私はニュートラルで居たい。

ニュートラルを維持するには、孤独を楽しむことが一番。希薄な人間関係の中での触れ合いで良いとしている。深入りするとエゴが見えて来て嫌になる。エゴの強欲に巻き込まれたくないから。

タイトルとURLをコピーしました