新しい収入源を探す




ロハスショップ

年間100万円が目標。何があるのか?

今のネットショップの売上を増やすことができれば一番良いのだが・・・

今まで出来なかったことが、出来るようになるとは思えない。そんな思考回路の中で輝くような方法が見つかれば良いのだが、そんな甘い話はどこにもないだろう。そう思ってしまうから余計にできなくなる。ただ、増える可能性は低くてもやり残していることだけでも熟してから次へ進むのが良いことだとは思える。次が見つかってない現状なのだから余計にそうかもしれないとおもってしまう。

早朝テニスは 身について来た気がする

趣味としては 思い趣味になっているかもしれないけれど、納得しているし、まだまだ深堀したい気持ちが多い。しかし、収入源としては何も道が開けてない。家庭内格差が著しい我が家だけに 何かバカバカしくもなっている。吹っ切る何かが必要だと思っているのだが。現状は残念な状況なんだ。

私は友達もいなく、ただテニスだけが友達のようなものになっている。テニスがいつまでできるのか分からないが、できなくなったときに何をするか準備も必要だと思うが、まずは金だろう。マンションの借入金単純に今の条件で返済するとしたら、後6年かかる。借入残が740万円だ。6年間今の状態が維持できるのか?74歳になっていることになる。人生も晩年だ。そのとき何処で生活をするのが幸せなのかも考えている。私に幸せな家庭はないから、でも息子が元気で居てくれることは最高の幸せに結びついている。それだけで良いのかもしれないと思っているが、欲に限りはない。元気であれば色々考えられるが、それが最大の問題なんだけれど、元気を前提に考えるしかない。新しい収入源が見つかれば 予定も組みやすいのだけれど、

今も川西マクドで一息付いているんだけれど、こんな生活ができているのも不思議だ。自然の中で生活して、今のテニスをしていれば最高なんだけれど、そうは行かない。自然の中に入るとテニスはできない、コートが合っても相手がいない。

朝マックも 私の安らぎ

朝マックに来だして3年程が過ぎている。事務所を池田に移して自転車通勤を初めてからだ。毎日の様に通っていたが、テニス朝練を始めてから来なくなった。そにに息子が就職してからは仕事に対する姿勢が変わったことも影響している。10時前の朝マックは貧乏老人の集まりにも感じる。私もその一人なんだ。もう少しゆっくりできる場所がお気に入りになるんだが、20年もの貧乏生活で馴染んでしまっている。借金返済が終わるまでは、実際に貧乏なんだけれど。完済まで後4年だと思っているが、その間に何かアクシデントが起こればそんなストーリーは消える。それが金のない人間は受け入れなければならないルールなのだ。毎年のことだけれど、会社の税金を支払い終え新たな借金生活に入っているから余計に感じる貧乏感なのだ。いつになったらこの貧乏感から開放されるのだろうか? 後3年 現状を維持できれば可能だと計算は出来ていても、まだまだ不安感に包まれている。結局私の人生は貧乏だった。しかし、幸せでもあった。これからも同じで良いのだが、借金返済からは早く開放されたい。朝マックの時間も幸せに感じている。毎月1週間程、温泉地でぼーっと暮らすのが私には似合っているのかもしれない。ずーっとそう思っている。でも借金返済が終わればできる可能性はあるが、借金完済まではできない。だから少しでも早く完済したかったのだが、私にはできそうもない。諦めてはいけないのだが、実力のないものにはチャンスも来にくい。今日も事務所には行くが何する目的もないなか、何かを見つけたくて動いている。動きもパターン化しているので、刺激を得れる可能性も少ない。何かを見つけに事務所に向かうことにしよう。

広告費用と内容の見直し

googleadwordsの費用と内容を見直し、商品販売はそれ程売れていないので、広告費の大半が レンタルに向けた。

商品購入は 大手モール「アマゾン」が強い。なので オリジナル店舗では 弊社しか対応できていないレンタルを中心に据える様に広告単価を変えた。

 思惑どおりの変化があれば良いのだが、一ヶ月から2ヶ月様子を見て、また改善を加えることにする。

 現状を掴むために、 googleアナリティクス googleアドセンス を一から見直しが必要。内容や設定方法も変わっているようなので、良いタイミングかもしれない。

 結局今まで運営してきたアイテムの見直しになってしまい、新たな収入源とはならないが、これが私の能力なのだと割り切ることも大切だろう。

思い出すのは 悍ましい貧困のとき

私の貧困生活は家族のだれも気づいてないと思う。商売での収入は恐らく年間300万円程度しか稼げてないのだが、それに借金を繰り返し年間100万円弱は借りていた計算になると思う。そのときの苦しい思いがあるから今の生活が幸せに思える。その時の苦しみを耐えられたのは子供の笑顔だった。それにプラスして退社前のパワハラによる苦しみと惨めさだったと思う。もしかしたら、今テニスに打ち込む気力はそれらの惨めさを払拭する為かもしれない。今朝は雨だったので、朝練に行かず事務所に来ている。佐川の荷物を受け取る必要もあり、来ているのだが、久しぶりに事務所で一日を過ごすことになる。結局のところ自分を何らかの枠にハメ込みその中で工夫して楽しんでいるだけで、そんなことしかできないのが自分の能力なのだと今更知った。楽しむことができるのは良いことなんだけれど、新鮮な楽しみは見つからないのかも・・・と感じている。それは自分の思考回路の問題だと分かってきた。

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