格差社会の縮図




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家内の確定申告

今年の分から確定申告を二人分しなければいけない。しかも、私の申告の方が遥かに少ない。不愉快ではあるが、この20年の生き方を振り返ると、この程度のこと大した事ではない。今まで苦労して支払っていた嫁の年金や健康保険そして諸々の保険や携帯電話料金が全て嫁負担にすることで年間60万円程度私の負担が減る。家内の不労所得と私の仕事での稼ぎでは大きな格差ではあるが、今の仕事を継続できれば、私には十分な小遣いも残るはずだ。と言って精々5万円程なんだが私はそれで幸せを味わえる様になってしまった。これが本当の幸せなのかも。と思っているくらいだ。

テニスクラブでの色々

私が教えているつもりで話ていることで、あなたは相手に対してリスペクトがない とまで言われてしまった。でも良かったと思っている。その言葉で、彼とも縁が切れた。本来テニスだけで言えば、私が相手をする人間ではない。これでテニスクラブ内にも多くの縁切りメンバーが出来た。縁を切ると言っても話は普通に表面を合わせてする。私がこの4年のテニスだけをみて理解できる人はいない。それくらいに私のテニスは向上したと言うか、昔の私のテニスに近づいた。それを言っても分からず、知ったかぶりをしている、上から目線のメンバーは全員縁を切っている。場合によってはクラブを代えることもあり得る。と思いながらも明日も、明後日もクラブに通う。私の人生の縮図の様にも感じて面白い。どの様に変わっていくのか、それが私であっても、回りであっても、眺めている自分が居て面白く感じている。

モチベーションを維持する原動力

12月の7日から、次のテニス大会、ジョップ大会、が始まる。この試合力が私の原動力だと思っている。試合の勝ち負けではなく、対戦力が有れば何とかなっていくと感じている。ところがこの気合いが失せるとこの状況も消えるのではないか?と感じている。そんな面だけを考えると、寂しい人生なのかもしれない。しかし、回りを見ても誰独りとして自分を本当に楽しく生きていると感じない。同化して自分を隠して良い子になって納得しているとしか感じない。私はそんな生き方はできないことは分かっている。だから、子の人生が楽しいのであって、孤独を寂しがるのではなく、孤独を楽しんでいると考えている。

 

私本来の仕事を見失っている

嫁の不労所得の収入に、自分の仕事が馬鹿らしくなってしまう。しかし、それではダメ。どこまで行っても自分しかないんだから。誰も助けてくれない。自分で何とかしなければいけな。私は借金まみれでまだ出口には近づいてない。テニスでモチベーションを養って、前へ進まなければいけない状況であることは何も変わってない。ここを乗り越えなければいけない。乗り越えたときは人生が終わりに近づいているのだが、これも仕方がない。それしか私の残っている選択肢はないのだから。私本来の仕事と家内の不労所得を比べてしまうと、やる気が無くなる。これが最も悪い方向なのだ。気持ちを取り直して、良く深くならずに、自分のペースで生きるしか方法はない。だから私は、世間一般のチマチマした仕事で少ない稼ぎを続けなければいけないし、私にはそれしか進むべき道はない。この根本を見間違えるとダメになるしかない。損な生き方なのかもしれないが、それでも、幸せを感じられる感性が養われているから十分なのだ。

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