私が変わって、環境も変わった




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ロハスショップ

身勝手なものだが

テニスクラブでも、練習する相手がいなくなってきている。私の腕が回復してきたことが大きいのだが、そうなると、練習できる相手、練習になる相手が余りに少なくなってしまった。私の変化を理解できない人が90%だから、理解してもらおうと思うと反って溝を深める可能性が高い。放って置くしかないだろう。自分勝手な者ばかりだ。私もテニスが1つの生活の柱だから、何かの方法を見つけなければならない。そんなことの繰返しなのだ。ボタンの掛け違い、はいつでもどこでも起きている。

家庭内でも 環境が変わっている

私の老い。息子の社会人に成長。嫁の遺産相続。など皆、皆独立した経済圏を築いたことが大きいのかもしれないが、バラバラに、元々バラバラの家庭が崩壊ではなう、独立国家の集まりになりつつあり、私は独りの老人になるのだろう。喜ばしい一面はあるが、成長とはこう言うものなんだ、孤独に陥るものなんだと妙に思っている

自営業で良かった

大きな顔のできる自営業ではなく、儲からない自営業だけれど、仕事があるから良かった。私の世界、小さな世界の中で、テニスだけでは行き詰まるだろう。テニスで言えば、ジョップ大会に参加することで、目標を作れるから、意味があるが、レベルの向上と供に、練習できる相手がどんどん少なくなっていく。これも孤独な世界に近づいている。変化に対応できれば孤独を通り越して、新たな世界に入れるのだろうが、下手をすると、自分に舵取り能力がなければ、孤独に入ってしまうだろう。生きるとはこう言うものなんだろう。

次に入る世界は?

私は、ここでミスを繰り返している

今ごろ気づいても遅すぎる。でも、今頃になって分かって来た。昔なら、このタイミングで今までの人々にまた、同じ方向に目を向けようと言う甘い思いから、誤解に発展することが多かった。そりゃ無理な話だと思う。何故こんな単純な事が分からなかったのか?独りになってしまう怖さだと気づいた。誤解であれ、人の考えを変えることは難しい。ましてや、思い込んでいる人間の頭の中など、容易く変えれるものではない。勇気を持って孤独に向かうことが次の扉を開ける鍵なんだと言うことが何故分からなかったのだろう。次の世界に入って、その扉を今まで関係の合った人に開けて置いて、なかに入って来ようとする人を受け入れれば良いだけの話なのに。今までの失敗を教訓に今度は自分に負けない様にしたいものだ。

自分を見つめる時間も 気持ち良い時間

孤独を避けたい気持ちに負け、ボタンをかけ違う。でも、自分を見つめ直す時間も心地よい。矛盾した話なんだが、現実だ。大勢の中での孤独が辛いのかもしれない。自分の世界に入ってしまう孤独は心地よいのかもしれない。ちょっと危険な考えだが、気持ちの一面は捕らえている気がする。自分の世界に入って孤独を楽しむ、この言葉が間違っているのだろう。自分の世界に入って独りを楽しむと言う方がどこか自然に受け入れられる。そのとき、自然に自分を受け入れられれば、より快適なのだろう。ソロキャンプが一部で流行っているが、彼らもそんな感覚があるのかもしれない。でも、社会の中で大切なのは、大勢の中での孤立(孤独)を上手く生き抜く力なのだと漸く理解し始めたシニアなのです。大勢の中での孤立は、対処方として仲間を集めてしまう。確かにこれも重要なのですが、それができたとしても孤独からは抜けられない。少数の同調してくれた人を仲間だと勘違いすると次の孤立がやってくる。冷静に大勢の中の孤独を味わう勇気が大切になるのだろう。

事務所の役割

第一は、仕事を継続するため。でも、第二は自分を見つめてる自分だけの時間を楽しむ為。大きなポイントはこの二点なのだろう。経費が掛かっても事務所を維持していたい気持ちは、この辺りから来ているのだろう。事務所は半独り生活の場として大切だったのだろう。独りは嫌、ども一人が好き と言う厄介な生き物なのだろう。

内容が変わっても、パターンは同じ

次の部屋が分からないから怖い。それで怯えて動きが鈍くなる。どちらにせよ、留まることはできないのに、何故無難を望むのか?ここで折衷案を見つけようとすると、どちらへも行けずにバカを見る。バカを見続けていたのが私なのに。それでも、またバカを繰返しそうになる。バカの由縁だね。気持ちだけで良いのだから、問題絡みの人物全てを無いものにすれば良いだけ。絵に描いた様な世界は、全て結果論から引き出した思いで話。私が次の世界に入れれば、それに近づきたい人間も必ずいる。その人たちを掬い上げれば良いだけの話。それを何故、悩むのだろうか?八方美人に成りたいだけ、嫌われる日と、私を非難する人を減らしたいだけ。そんなちっぽけな気持ちでは前へ進めない。でも、悩めることは幸せだと思う。この歳で青春とは言えないにしろ、それと同等の悩みなのだから。私はテニスに救われた経験が何度もあり、今回もそうだ、そして仕事にも救われている。今までの生き方は何の結果も残せず、借金だけが残っているが、この気持ちを持てることは大きい。人生に無駄はないと言われるが、私は無駄だらけの生き方をしてきた。ただひとつ良かったのは、今を幸せに思えること。

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