夕日を浴びながらドトールで




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サイクリングの疲れが残っている

筋肉痛もあり、これほどの疲労感をサイクリングで感じたことはなかった。テニスジャパンを目指しているのだからこの程度のトレーニングは当たり前。こんな事を乗り越えられなければジャパンなんてあり得ない。トレーニングしても、体力がつくのは後何年あるのか?回りを見ていると精々5年~10年程度かもと思う。技術は上げられても筋力、体力は下がる。そんなシーソーゲームを自分自身がやっている様なもの。

 そんな中でみんなやっているのだから凄いと思うのは当然だし、尊敬に値する。こんなことにエネルギーを燃やし熱中しているとは、何と幸せなことだとつくづく思う。

 この20年苦しい事ばかりだった様に思っているが、私の人生で最も自分で考え生きていた時代だとも思っている。その時代の流れを越えられた様に思えるから今は 特に幸せを感じているのだと思う。独り身になったとしても幸せ感はあると思う。

 仕事にしても状況は良くないが、出ていく金が減ったから何とかなるだろう。そう思える解放感は少し前の自分では考えられない。4年前、何を考え、思っていたかと考えると幸せ過ぎて空を舞っている様だ。仕事の帰り道にショッピングモールのベンチでボーッとして安らぎを感じていたときもある。まるで浮浪者の様なもの。

 65才にもなってこんな感覚で生きてる人は少ないのかもしれない。私が通っているテニスクラブの平均年齢が65才なので、皆、私と比べると落ち着いているし、どっしりしている。老後を満喫するためにはどうすれば良いか?そんな事を考えている様に感じる。私も同じなのだが、私は今までの劣等感がバネになって出来ることは遣ってしまいたい。テニスも仕事もそう思っている様に感じている。

この時間が頭の整理になっている

ブログ気持ちの整理ができ、こんな時間が好き。コーヒーを飲んでも家で飲みながらブログ更新しているのとは違う。この雰囲気が気にいているのだろう。

 事務所であれば独り落ち着けるのだが違う。何か目新しさが欲しいのかも知れない、飽き性なんかもしれないな。こんなことをしていると一時間くらい直ぐに過ぎる。次の仕事は何が出来るのだろう などなど。

 コーヒーでも飲んで皆寛いでいる。皆ホットして自分にちょっとしたご褒美をあげているのだろう。コーヒーが欲しいのではなくこの一時が欲しいのだろう。これが人間の第二のエネルギー源なのだと思っている。目標に近づく為には自分で自分を追い込まなければいけないときは良くある話だ。それとは逆のひとときなのだと思う。そんなことでバランスを保っているのかもしれないし、それが楽しいのだと思う。私はこの20年間このバランスが取れていなかった。

 バランスを崩す原因は幾つも考えられるが、一つに、生活の金に追われること。誰からも認められないことも原因になるだろう。そんなバランスを取りながら目標に近づいていければそれが幸せなのだと思う。

 隣の席に老人が座った。新聞を用意してコーヒーを飲むのだろう。それが老人にとっての楽しいひとときなのだろう。それが競馬新聞であったとしても楽しみの時間なのだろう。私が、ブログを更新しているのと同じものを求めているのかも知れないと思うと不思議な感覚に陥る。

 人生の大半を終え何か求めるものが残っているのが幸せの源なのだろう。そこで誰かに構って欲しいことを現すために、疲れた感じを出したりする人も居る。しかし、これは甘いと感じるし、私は好きではない。恐らく誰しも好きではないだろう。その行為は単に回りを不愉快にするからだ。皆楽しく過ごしたいし、幸せな時間を共有できれば、尚更良いのだと感じている。

写真は加工して造ってます

掲載している写真は自分で写した写真を photopea で加工したものです。リアルな写真より見るときのイメージが膨らむ気がして好きです。

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