自分の歳を認識していない。それが良い事だと思っている。




ロハスショップ

自分の歳を自覚することが良いことなのだろうか?

いつもの様に 朝マクドでコーヒーを頂いている。マクドを安物の嫌っている人も居るが、私は極貧時代に便利に使わせてもらったからなのか、安心感があって良い。今朝も玉置浩二の歌を聴きながらのコーヒーが心地よい。今私が儲けを出せるとしたら、投資くらしかない様に感じてる。しかし、投資は博打ではないから地味なものだ。だから、そんなに儲かることもない。インターネット販売が、今は最悪の売上だが、季節の変化と共に回復してくれれば良いのだがお期待している。今日もすることなどない。事務所に向かって、事務所で昼御飯と昼寝をして少し、ブログの研究でもすることになるだろう。その程度のことしか、この数ヵ月していない。それでも事務所費用など経費を含めて赤字にはなってないので続けている。しかし、現実は借金返済の為と今後の為に 1000万円枷げれば楽しみが増えると考えている。つい先日までは1000万円はできると思っていたのに、売上が最悪になってしまうと、そうは思えなくなって来ている。フラフラしながらしか進めないものなんだ。悲しいけれどこれが現実だ。勉強中の投資と同じだ、フラフラしているときはヘッジすることが大切。大雑把にいって殆どの時間はフラフラしている様に感じている。上手くヘッジを効かせて自転車が倒れない様にハンドル操作をすることなのだろう。ヘッジがなければ、運が悪ければ倒れるだけだから。投資がそういうものだと感じられただけでも勉強の成果だと思うし、今の成果はそれだけ。

今朝もマクドタイムを楽しませてもらっている

ルーティーンになっている。他に楽しみがないのか?とも思うが、幸せってそんな小さなものなのだとも思える。仕事面では売上の最悪期だが、支払うものが大幅に減ったので、精神的圧迫が少ない。幸せなことは言うまでもないが、極貧で自販機のジュースを買うこともできなかった時期を何とか越えられたから言えることだけれど、その当時の幸せ感もあった様に思える。あのまま落ちこぼれていたら、この感覚は無いだろうと思うが。感覚なんて身勝手なものだし、何が正しいのかも身勝手が中心にある様に思える。それで何とか生きていければ、他人に迷惑を掛けずに生きて行ければそれで80点は取れていると感じている。そんな空しいものなんだろう。今日も事務所に行ってほんの2時間程度作業してテニスコートへ向かう。殆どなにもしていないと思える一日を見せかけの充実で満たしているような一日だ。この一年殆どの毎日が、この見せかけの充実日になっていると思える。そう考えると、今まで殆どの人生が見せかけの充実だったのだろうか?そんな疑問をももってしまう。

 

週明けの朝 いつものマクド

3連休明けの週始め。いつもの様にマクドでコーヒーをいただく。プチプチ幸せの時間なんです。3連休毎日テニスをしていたからと思うけれど、昨日はテニスから帰ってから夕御飯まで1時間半ほど昼寝。夕食後も1時間ほど寝て。それどいつも通り12時に寝て。睡眠十分で今日は体が軽い。体力回復には、かなりの睡眠時間が必要な様だが回復してくれて嬉しい。食べること、寝ることは運動に等しく大切なことの様だ。私の生活の柱はテニスになってしまったのだろうか?自分でも判断できないくらい変わりすぎた。仕事をして稼がなくてはいけない環境なのに、それがどんどん、疎かになって来ている。いけない状況も生まれてきているのかもしれない。自分をコントロールできない私らしいのかもしれない。100円のマクドでも音楽を聴きながら時間を過ごしていると心地よいものだ。私は極貧生活を繰り返していた時代があったから、今これで十分な幸せを感じているし、今後、嫁の我儘が蠢き出して、私が我慢出来なくなって別居生活になったとしても、幸せを感じながら生活できるだろうと思える。そう思えるだけでも幸せと思う。こんな感情はスムーズに生きてきた来たら生まれないだろうな。感情というのはそんなものの様に思える。こんなまったりした時間を楽しんでいると、午前中が終わってしまう。これじゃ仕事が出来る訳ないと言うことは自覚はしているんだが止められない。このまま落ちていくのか、どこかに転機を迎えられるのか、分からないまま日々を過ごしている。

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