私は貧乏だ。
でも、幸せに生きて行けそうに思えている。
子供の独立が、私にとってどれほど大きな意味があったのかと私は貧乏だ。
でも、幸せに生きて行けそうに思えている。
子供の独立が、私にとってどれほど大きな意味があったのかと思い知らされる。
私の場合は、学費の工面に必死だったから、もちろん最低の生活をしながですから・・・・今思い返しても辛い時期があった。
それを超えて今は、テニス、 自転車に嵌っているのです。超えたというと立派なのですが、実際は綱渡りをしながら時が過ぎてくれたのでしょう。
次の大きな課題は仕事なのです。私は 旅をしながら仕事をしている様なものだから、さらに仕事のレベルが下がってでも方向としては、さらに進めたいのです。
そのためには、もっと考えなければ。見つかれば楽しい生活になれるだろう。
新しい事務所はそれを考える場所を与えてくれたのだと思ってる。
これかは、自分中心に生きて行ける。
今までとは大違いなのだ。同年代の方々であっても、生活に大きな問題が生じてなかった人はそうは思わないだろう。
しかし、私は日々の生活が儘ならないときが何年もあったことが 今の幸せ感を創っている。
これからを考えると、夢の様な環境を人生の最終章にプレゼントしてもらえたと思 えている。
それを現実に出来ないとしても、 それでも夢のある生活だと感じている。
今、幸せに感じるのも、抜け出せない苦しみの中で生きていた経験があるからでしょう。
そんな、 2度としたくない思いが不思議と自分の幸せレベルを下げ気づかな かった幸せを感じさせてくれているのだろう。しかしだ、 これが本当の幸せだと思う。
年齢を重ね、体の衰えを実感してくると、多くの人は、生活を送れていることに幸せを感じてくる様に思える。
人間とはそんな者なのかもしれない。
同じ環境でも、幸せを感じて生きる人と、不満の中で生きている人では、とんでもない違いがある。
今を幸せだと思って、堕落した生活が良いと思っているのではないです。向上心を持ち努力していることに幸せを感じられる そんな生活をしていきたい。