どうでも良いことなのに 離れられないことが 弱いところだ
夢の中で 何故 何故?を繰り返している。何も分かってない人間の下に居ることがどれ程不幸なことであり、尾を引いていることなのか・・どこかで腑に落としたいのに、それが出来ずに未だにいる。弱い人間の話だ。私は二度も経験している。群れることが嫌いだから、それはそれで良いと思っていたが、それで生きれる世界とダメな世界がある。その見極めも必要だった。ただそれだけなんだが、それを分からず生きて来たことが現実だ。夫婦のことは別だが、ともに人生を歩んできたという感覚はない。一部は共に生きたと思える部分はあるが、大半はシェアハウスの一員であったように感じている。共に人生を生きられれば幸せは大きいだろうと思うが、と言って私が不幸だとは思わない。私の様に感じて生きている人間も多く居る様に感じているからだ。今までこの2つの大きなテーマに触れたことは無かった様に思う。恐らく触れたくなかったから、無意識に避けていたのだと思う。
群れに属さない生き方
属さないのではなく、属せないのだから、そんな人間が大きな群れに入っても孤立するだけだ。不幸は入る世界を間違えていることだ。群れに属していない生き方も多くある。その道で道を開けば良いのだ。今更なにもできないけれど、分かっただけ良かったと思っている。群れの中に居ると、どこかの群れに入らなければ息苦しい思いばかりする羽目になる。事実そうなって、押しつぶされた。新しい道を開こうとしたが、根本がズレていた。世の中を知らなかったのだ。そんな中で藻掻きながら生きていた。弱い人間だから仲間を作りたかった、でも鼻からできない話だ。群れに属せない、属さない開放感に安らぎを感じている者同士仲間にはならない。何か同じ目的があれば、そのときだけ仲間意識を持つだけだ。こんな単純なこと分かっていろ と今なら思う。それで稼ごうとするには、それなりのスキルが必要だ、例えば士業のような形に入ることだっただろう。それはそれで、何年もの下積みが必要だ。世間の隙間には士業でなくてもそのような仕事はある。しかし長続きする仕事はあまりないのが現実だ。勉強が得意な人間が医師に多いのはこういう事を表しているのだろう。それとて、群れに属してない訳ではないが、群れから離れてもまだ生きられる世界はありそうだからだ。これが私の終活の始まりなのだろうか 強欲が減り、何か見えて来たのかもしれない。youtubeを見ているとそんな感じの人間も多くいる。群れの中で藻掻いて地位を得た人間の方が多くいるが、そんな人間も何かしら分かっている。
漸く腑に落ちる結論が出てきた
上司がバカ過ぎた。というより、何も分かってないのに上司の立場を維持することで必死だったのだ。そりゃ邪魔な存在だし、人格否定をするしか生き延びる方法を見出す事ができない程度の頭脳だったのだ。それが結論だ。次の課題は今の仕事やテニスそして生き方を修正することだ。バカに付ける薬などない。こんな事に何故気づかなかったのか、何故悩んでいたのか?それを考えると情けない。そんな人間は履いて捨てるくらい居る。だから人間は群れるのだ。群れる理由はいくつもあるが、こんなところにも原因があったのだ。それにしても、そんなことさえ分からず生きてきた自分も情ない子供だった。逃げなければいけないときもある。逃げる以外に道がないときはある。と言うことだ。
25年前の事件を振り返って
何も分かってない上司に 人格を否定されて潰された。それが現実だ。それで腑に落ちるが、こんな無惨な現実を経験するとは思ってもなかった。と同時に何か打つ手もあったとは思える。ただ、人間的にレベルが低い上司で尚且つ無知であれば対策はなかったかもしれない。生き延びる道はあったかも知れないが、そこまでして生き延びて何が楽しいのだろうと言うのも事実だ。人間とは良くも悪くもそんなもの。人間社会といえば良い呼び名だが、人間の群れとはそんなものなんだということだ。ここまで辿り着くのに25年も掛かった。それも何とも出来の悪い人間であった証拠である。
前を向いて
気持ちが前向きになった。気持ちの落とし所が見つかったことの影響だろう。前向きに動ける、忌まわしい感情を吹っ切る為にうごめいていた。蠢きは、自分を鍛錬するしている様なもの。長いトンネルであったのだろう。そんな経験をして何にもならなかったが、時間の無駄ではなかった気がする。生まれたものが何かまでは分からないが、人生そんなこともあるだろう。まだまだ人生は残されている。幸いにも今現在は元気だ。年齢が年齢だけに先の先は全く分からないが、今は良しだ。長期計画は立てることはできないが、目先の計画は立てられる。それだけでも幸せなことだと思えるから良いのだ。